をなめているのだ。この身をどこに置くべきか。それさえ自分にわかっておらぬ。
ここに越ゆべからざる太い、まっ黒な線がある。ジェネレーションが、舞台が、少しずつ廻っている。彼我相通ぜぬ厳粛な悲しみ、否、嗚咽《おえつ》さえ、私には感じられるのだ。われらは永い旅をした。せっぱつまり、旅の仮寝の枕元の一輪を、日本浪曼派と名づけてみた。この一すじ。竹林の七賢人も藪《やぶ》から出て来て、あやうく餓死をのがれん有様、佳《よ》き哉《かな》、自ら称していう。「われは花にして、花作り。われ未だころあいを知らず。Alles oder Nichts.」
またいう。「策略の花、可也。修辞の花、可也。沈黙の花、可也。理解の花、可也。物真似の花、可也。放火の花、可也。われら常におのれの発したる一語一語に不抜の責任を持つ。」
あわれ、この花園の妖《あや》しさよ。
この花園の奇《く》しき美の秘訣《ひけつ》を問わば、かの花作りにして花なるひとり、一陣の秋風を呼びて応えん。「私たちは、いつでも死にます。」一語。二語ならば汚し。
花は、ちらばり乱れて、ひとつひとつ、咲き誇り、「生きて在るものを愛せよ」「おれは新しくな
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