い。けれども決して古くはならぬ」「いのちがけならば、すべて尊し」「終局において、人間は、これ語るに足らず」「不可解なのは藤村の表情」「いや、そのことについては、私が」「いや、僕だ。僕だ。」「人は人を嘲《あざわら》うべきでない」云々。
日本浪曼派団結せよ、には非ず。日本浪曼派、またその支持者各々の個性をこそ、ゆゆしきものと思い、いかなる侮蔑をもゆるさず、また、各々の生きかた、ならびに作品の特殊性にも、死ぬるともゆずらぬ矜《ほこり》を持ち、国々の隅々にいたるまで、撩乱《りょうらん》せよ、である。
ソロモン王と賤民
私は生れたときに、一ばん出世していた。亡父は貴族院議員であった。父は牛乳で顔を洗っていた。遺児は、次第に落ちぶれた。文章を書いて金にする必要。
私はソロモン王の底知れぬ憂愁も、賤民の汚なさも、両方、知っている筈だ。
文章
文章に善悪の区別、たしかにあり。面貌《めんぼう》、姿態の如きものであろうか。宿命なり。いたしかたなし。
感謝の文学
日本には、ゆだん大敵という言葉があって、いつも人間を寒く小さくしている。芸術の腕まえにおいて、
前へ
次へ
全47ページ中26ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング