洋人の脈管からながれでた血のその純粹の結晶であらう。
僕の神祕的象徴主義の理論は此後いくらでも變改するであらうが神祕的象徴主義は何としても動かない眞理だ。それは藝術其物眞理其物の成立するアプリオリだ。否、凡てのアプリオリのアプリオリだ。而も君の詩はそれらの主義から超越してゐる。
今も僕は例の散策から歸つてきたところだ。いつもの道だが、加茂川から一二丁の間隔を置いて平行にはしつてゐる高い堤(それは往昔《むかし》の加茂川のそれではないかと思ふ)の上を北の方へあるいて行つた。そこには丈の低い小笹が繁つて早くも春の雲雀が鳴いてゐる。ふと菜畑のほとりをゆるやかに何處かの鐘の音がながれた。僕はその音に聽入りながらつらつらと自然のあらはれ[#「あらはれ」に傍点]の信實を思つた。何と言つても信實な眞摯なそして温良なものは自然だ。亦、いつも健全なのは自然だ。
山村君。君はつねにかのジアナリズムを排してゐる。それは僕も同樣だ。併しジアナリズムぐらゐが何だ。それはただ文壇といふ文化顯象の片隅にかすかに存在してゐるだけの事實に過ぎないではないか。現代の文明はもつと複雜だ。僕等には文壇のジアナリズムぐ
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