ゐたが、其頃から僕の思想はプラグマチズムとはいはないで象徴主義と銘打つてゐた。後、次第に思想が深化して現今の所謂論理主義の嚴密さを味ひつつ、リツケルト、コオエン、フツサアル、ボルツアノとだんだんに固くなつてゆくにつれて僕の理知欲は一面に滿足させられたが他面の宗教的要求を如何にせばやと惑ふ樣になつた。其頃のことである。僕が專心大乘佛教の中に浸つて佛弟子たる修業に志したのは。「公準としての愛」といふやうなものも其の時に出來た。神祕的象徴主義の骨組もその頃に出來た。そして禪宗のやうな超俗的内面的な宗教がその究竟境を示すときの偈を讀み、その表現があまりに現代フランスの象徴派詩人のそれと共通してゐるのに驚いた。更にすすんで君の先きの詩集「聖三稜玻璃」を一讀するや、誠に精神的に貧弱な現今のわが國に斯くも摩訶不思議の詩境にあそぶものがあるかと僕の心は君に對する驚異と畏敬とにみたされた。實にも靈性の深奧に祕密の殿堂をみいだすことは感覺のプリズムに富瞻の色彩を悦樂することである。それを知るものは君である。君のやうな徹底した象徴主義者は西歐にも其例を見ることができない。君が名辭のみを聯ねた詩の簡潔こそは東
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