きも亦之がためである、「若し汝の眼汝を罪に陥《おと》さば抉出《ぬきいだ》して之を棄《すて》よ、そは五体の一を失うは全身を地獄に投入れらるるよりは勝ればなり」とある(同五章二十九節)、又|施済《ほどこし》は隠れて為すべきである、右の手の為すことを左の手に知らしむべからずである、然れば隠れたるに鑒《み》たまう神は天使と天の万軍との前に顕明《あらわ》に報い給うべしとのことである(同六章四節)、即ち「隠れて現われざる者なく、蔵《つつ》みて知れず露われ出ざる者なし」とのことである(路加《ルカ》伝八章十七節)、今世は隠微の世である、明暗混沌の世である、之に反して来世は顕明の世である、善悪判明の世である、故に今世に隠れて来世に顕われよとの教訓《おしえ》である。
殊に山上の垂訓最後の結論たる是れ来世に関わる一大説教である。
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我を呼びて主よ主よと言う者|尽《ことごと》く天国に入るに非ず、之に入る者は唯我天に在《いま》す父の旨に遵《したが》う者のみ、其日我に語りて主よ主よ我等主の名に託《よ》りて教え主の名に託りて鬼を逐い、主の名に託りて多くの異能《ことなるわざ》を為ししに非ずやと
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