《よみ》と死との鑰《かぎ》(秘密)を握り今ある所の事(今世の事)と後ある所の事(来世の事)とを知り給う(同十八、十九節)、而して斯かる全能者の眼より見て今世に於て貧しき者は却て福なる者である、柔和なる者(蹂躪《ふみつけ》らるる者の意)は却て地の所有者となる、神を見るの特権あり、清き者は此特権に与かるを得云々、言辞《ことば》は至て簡短である、然れども未来永劫を透視する全能者の言辞として無上に貴くある、故に単に垂訓として読むべき者ではない、予言として玩味すべき者である。
其他山上の垂訓の全部が確実なる来世存在を背景として述べられたる主イエスの言辞である、而して此背景に照らし見て小事は決して小事ではない、其兄弟を怒る者は(神の)審判《さばき》に干《あずか》り、又其兄弟を愚者よと称《い》う者は集議(天使の前に開かるる天の審判)に干り、又|狂人《しれもの》よという者は地獄の火に干るべしとある(馬太《マタイ》伝五章二十二節)即ち「我れ汝等に告げん、すべて人の言う所の虚しき言は審判《さばき》の日に之を訴えざるを得じ」とある主イエスの言の実現を見るべしとのことである(同十二章三十六節)、姦淫の恐るべ
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