》して、今日と雖も稍々《やや》之に類する困厄の信者の身に及ばざるを得ないのである、而かも信者は悲まないのである、信仰の先導者なるイエスは其の前に置かれたる喜楽《よろこび》に因りてその恥をも厭わず十字架の苦難《くるしみ》を忍び給うた(同十二章二節)、信者は希望《のぞみ》なくして苦しむのではない、彼も亦「其前に置かれたる喜楽《よろこび》に因りてその恥を厭わない」のである、神は彼等のために善き京城《みやこ》を備え給うたのである、而して彼等は其褒美を得んとて標準《めあて》に向いて進むのである(黙示録七章九節以下を見よ)。
如斯《かくのごと》くに来世を背景として読みて主イエスの是等の言辞《ことば》に深き貴き意味が露われて来るのである、主は我等が明日あるを知るが如くに明白に来世あるを知り給いしが故に、彼の口より斯かる言辞が流れ出たのである、是れ「我れ未だ生を知らず焉《いずく》んぞ死を知らん」と言う人の言ではない、能《よ》く死と死後の事とを知り給いし神の子の言である、彼はアルバであり又オメガである、始《はじめ》であり又|終《おわり》である、今あり昔あり後ある全能者である(黙示録一章八節)、故に陰府
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