多く神を懼れたる者である、「活ける神の手に陥るは恐るべき事なり」とは彼等共通の信念であった、彼等がイエスを救主として仰いだのは此世の救主、即ち社会の改良者、家庭の清洗者、思想の高上者として仰いだのではない。殊に来らんとする神の[#「殊に来らんとする神の」に傍点]震怒《いかり》の日に於ける彼等の仲保者又救出者として仰いだのである[#「の日に於ける彼等の仲保者又救出者として仰いだのである」に傍点]、「千世経し磐よ我を匿せよ」との信者の叫《さけび》は殊に審判《さばき》の日に於て発せらるべきものである、而して此観念が強くありしが故に彼等の説教に力があったのである。方伯《つかさ》ペリクス其妻デルシラと共に一日パウロを召してキリストを信ずるの道を聴く、時に
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パウロ公義と樽節と来らんとする審判[#「来らんとする審判」に傍点]とを論ぜしかばペリクス懼れて答えけるは汝|姑《しばら》く退け、我れ便時《よきとき》を得ば再び汝を召さん、
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とある(行伝二十四章二十四節以下)、而して今時《いま》の説教師、其新神学者高等批評家、其政治的監督牧師伝道師等に無き者は方伯
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