等を懼れしむるに足るの来らんとする審判[#「来らんとする審判」に傍点]に就ての説教である、彼等は忠君を説く、愛国を説く、社交を説く、慈善を説く、廓清を説く、人類の進歩を説く、世界の平和を説く、然れども来らんとする審判[#「来らんとする審判」に傍点]を説かない、彼等は聖書聖書と云うと雖も聖書を説くに非ずして、聖書を使うて[#「聖書を使うて」に傍点]自己の主張を説くのである、願くば余も亦彼等の一人として存《のこ》ることなく、神の道を混《みだ》さず真理を顕わし明かに聖書の示す所を説かんことを、即ち余の説く所の明に来世的ならんことを、主の懼るべきを知り、活ける神の手に陥るの懼るべきを知り、迷信を以て嘲けらるるに拘わらず、今日と云う今日、大胆に、明白に、主の和らぎの福音を説かんことを(哥林多後書五章十八節以下)。



底本:「日本の名随筆 別巻100 聖書」作品社
   1999(平成11)年6月25日第1刷発行
底本の親本:「聖書之研究」
   1916(大正5)年11月号
※「棉羊」と「綿羊」の混在は、底本の通りです。
入力:加藤恭子
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年5月3日作成
青空
前へ 次へ
全21ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内村 鑑三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング