裁判と聞ては彼等が忌み嫌って止まざる所である、故に彼等は聖書を解釈するに方て成るべく之れを倫理的に解釈せんとする、来世に関する聖書の記事は之れを心霊化《スピリチュアライズ》せんとする、「心の貧しき者は福《さいわい》なり、天国は即ち其人の有《もの》なれば也」とあれば、天国とは人の心の福なる状態であると云う、人類の審判に関わるイエスの大説教(馬太伝二十四章・馬可《マルコ》伝十三章・路加伝二十一章)は是猶太思想の遺物なりと称して、之を以てイエスの熱心を賞揚すると同時に彼の思想の未だ猶太思想の旧套を脱卻する能わざりしを憐む、彼等は神の愛を説く、其怒を言わない、「それ神の震怒《いかり》は不義をもて真理を抑うる人々に向って天より顕わる」とのパウロの言の如きは彼等の受納《うけ》ざる所である(羅馬書一章十八節)、斯して彼等は―是等の現代人等は―浅く民の傷を癒して平康《やすき》なき所に平康平康《やすしやすし》と言うのである、彼等は自ら神の寵児なりと信じ、来世の裁判の如きは決して彼等に臨まざることと信ずるのである、然し乍ら基督者《クリスチャン》とは素々是等現代人の如き者ではなかった、彼等は神の愛を知る前に
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