すべて》の人」と云えば過去の人をも含むのであって、彼等も亦何時か神の救を見ることを得べしと云う、而して是れ現世《このよ》に於て在るべき事でないことは明瞭《あきらか》である、基督教会が其伝道に由て「諸の人」に神の救を示すべしとは望んで益なき事である、而かも神は福音を以て人を鞫《さば》き給うに方《あたり》て、一度は真《まこと》の福音を之に示さずしては之を鞫き給わないのである、茲に於てか何時か何処かで諸《すべて》の人が皆神の救を見ることの出来る機会が供《あた》えられざるを得ないのである、而して斯る機会が全人類に供えらるべしとは神が其預言者等を以て聖書に於て明に示し給う所である、而して路加伝の此一節も亦此事を伝うる者である、
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人の子己の栄光をもて諸《もろもろ》の聖使《きよきつかい》を率い来る時、彼れ其栄光の位に坐し、万国の民をその前に集め、羊を牧《か》う者の綿羊と山羊とを別つが如く彼等を別ち云々、
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と馬太伝二十五章にあることが路加伝の此所にも簡短に記されてあるのである、未来の大審判を背景として読みて此一節も亦深き意味を我等の心に持来すのである。
其他「人情的福音書」、「婦人の為にせる福音書」と称えらるる路加伝が来世と其|救拯《すくい》と審判《さばき》とに就て書記《かきしる》す事は一々茲に掲ぐることは出来ない、若し読者が閑静なる半日を選び之を此種の研究に消費せんと欲するならば路加伝の左の章節は甚大なる黙想の材料を彼等に供えるであろう[#「あろう」は底本では「あらう」]。
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路加伝に依る山上の垂訓。六章二十節以下二十六節まで、馬太伝のそれよりも更らに簡潔にして一層来世的である。
隠れたるものにして顕われざるは無しとの強き教訓。十二章二節より五節まで、明白に来世的である。
キリストの再臨に関する警告二つ。同十二章三十五節以下四十八節まで。序《ついで》に「小き群よ懼《おそ》るる勿《なか》れ」との慰安に富める三十二節、三十三節に注意せよ。
人は悔改めずば皆な尽く亡ぶべしとの警告。十三章一節より五節まで。
救わるる者は少なき乎との質問に答えて。同十三章二十二節より三十節まで。
天国への招待。十四章十五節―二十四節。
天国実現の状況。十七章二十節―三十七節。
財貨委託の比喩。十九章十一節―二十七節。
復活者の状態。
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