る人は人情《にんじやう》の秘密《ひみつ》を会得《くわいとく》し得ざるが故に他を容《い》るゝ雅量《がりよう》を有せず、実際《じつさい》に真面目《しんめんもく》に生涯《せうがい》の真味《しんみ》を味《あぢは》ひし人のみが互《たがひ》に共《とも》に働《はたら》き得る人なり 宗教《しふけう》を以て茶話席《ちやわせき》の活題《くわつだい》となすに止《とゞ》まるものは言語的《げんごてき》捺印的《なついんてき》の一致《いつち》を計《はか》れよ、然れども二つとはなき此の生命《せいめい》を捨《すて》ても真理《しんり》の為めに尽《つく》さんと欲するものは斯《かく》の如き演劇的《えんげきてき》同盟《どうめい》に加はること能《あた》はざるなり、汝《なんぢ》一致《いつち》せんと欲する乎、先《ま》づ汝の主義《しゆぎ》を決行《けつかう》せよ、然らば其時《そのとき》汝は宇宙《うちう》に存在《そんざい》する総《すべ》ての誠実《せいじつ》なる人と一致《いつち》せしなり、一致の難《かたき》は外が来て汝と一致せざるに非ずして汝の誠実《せいじつ》ならざるにあり。
三、真面目ならざる宗教家とは誰ぞ[#「真面目ならざる
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