宗教家とは誰ぞ」に丸傍点]

 真面目《しんめんもく》ならざる宗教家《しふけうか》とは、直接《ちよくせつ》間接《かんせつ》に外国《ぐわいこく》伝道《でんだう》会社《ぐわいしや》の補助《ほじよ》に与《あづ》かり居りながら外国《ぐわいこく》宣教師《せんけうし》を悪口《あくこう》批難《ひなん》するものなり、社界《しやかい》の先導者《せんだうしや》を以て自ら任《にん》じ居りながら社界《しやかい》に引摺《ひきづ》られつゝ行くものなり、教会内《けふくわいない》に偽善者《ぎぜんしや》の潜伏《せんぷく》し居るを知りながら其《その》破壊《はくわい》を恐《おそ》れて之を排除《はいぢよ》し得ざるものなり、教会《けうくわい》独立《どくりつ》を唱《とな》へながら世の賛同《さんどう》を得ざるが故に躊躇《ちうちよ》遁逃《とんとう》するものなり、犠牲《ぎせい》だとか精神的《せいしんてき》教育《けういく》だとか能弁的《のうべんてき》に社界《しやかい》に訴《うつた》へながら自らは米国的《べいこくてき》安楽主義《あんらくしゆぎ》を採《と》るものなり、即ち義を見て為し得ざる卑怯者《ひけうしや》なり、即ち脳髄《のうずい》と心臓
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