人々よ、折あらばわが思想を実行せよ」と後世へ言い遺すのである。それでその遺物の大《おお》いなることは実に著しいものであります。
 われわれのよく知っているとおり、二千年ほど前にユダヤのごくつまらない漁夫や、あるいはまことに世の中に知られない人々が、『新約聖書』という僅かな書物を書いた。そうしてその小さい本がついに全世界を改めたということは、ここにいる人にはお話しするほどのことはない、みなご存じであります。また山陽という人は勤王論を作った人であります。先生はドウしても日本を復活するには日本をして一団体にしなければならぬ。一団体にするには日本の皇室を尊んでそれで徳川の封建政治をやめてしまって、それで今日いうところの王朝の時代にしなければならぬという大思想を持っておった。しかしながら山陽はそれを実行しようかと思ったけれども、実行することができなかった。山陽ほどの先見のない人はそれを実行しようとして戦場の露と消えてしまったに相違ない。しかし山陽はソンナ馬鹿ではなかった。彼は彼の在世中とてもこのことのできないことを知っていたから、自身の志を『日本外史』に述べた。そこで日本の歴史を述ぶるに当っても
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