特別に王室を保護するようには書かなかった。外家《がいか》の歴史を書いてその中にはっきりといわずとも、ただ勤王家の精神をもって源平以来の外家の歴史を書いてわれわれに遺してくれた。今日の王政復古を持ち来《きた》した原動力は何であったかといえば、多くの歴史家がいうとおり山陽の『日本外史』がその一つでありしことはよくわかっている。山陽はその思想を遺して日本を復活させた。今日の王政復古前後の歴史をことごとく調べてみると山陽の功の非常に多いことがわかる。私は山陽のほかのことは知りませぬ。かの人の私行については二つ三つ不同意なところがあります。彼の国体論や兵制論については不同意であります。しかしながら彼山陽の一つの Ambition 《アムビション》すなわち「われは今世に望むところはないけれども来世の人に大いに望むところがある」といった彼の欲望は私が実に彼を尊敬してやまざるところであります。すなわち山陽は『日本外史』を遺物として死んでしまって、骨は洛陽|東山《ひがしやま》に葬ってありますけれども、『日本外史』から新日本国は生まれてきました。
イギリスに今からして二百年前に痩ッこけて丈《せい》の低い
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