、なんといっても、小《ちい》さすぎます。どうしても仲間《なかま》について行けません。遅《おく》れてしまいます。これはわかりきったことです。哲学者《てつがくしゃ》といわれる人たちは、同じ原因《げんいん》があればいつでも同《おな》じ結果《けっか》になるということを知っています。しかし、ジャックにしてもベルナールにしても、マルセルにしても、またロジェにしても、哲学者《てつがくしゃ》ではありません。四人は自分《じぶん》の脚《あし》に応《おう》じた歩き方をします。可哀《かわい》そうなエチエンヌも、やっぱり自分の脚《あし》相応《そうおう》に歩《ある》いているのです。調子《ちょうし》が揃《そろ》う筈《はず》がありません。エチエンヌは走《はし》ります。息《いき》を切《き》らします。声を出します。それでも遅《おく》れてしまいます。
大きい人たちは、つまりお兄《にい》さんたちなんですから、待《ま》ってやればいいのに、エチエンヌの足にあわせて歩《ある》いてやればいいのにと思うでしょう。ところがそれは駄目《だめ》なのです。そんな心掛《こころがけ》は、この子《こ》たちにはそもそも註文《ちゅうもん》するだけ無理《むり》なのです。そういうところは、この子たちも大人《おとな》も同《おな》じです。「進《すす》めッ」と、世間《せけん》の強《つよ》い人たちはいいます。そうして弱《よわ》い人《ひと》たちをおいてきぼりにします。ですが、このお話《はなし》がどうなるか、おしまいまできいていらっしゃい。
ところで、この四|人《にん》の、大きい人たち、強《つよ》い人たち、元気《げんき》な人《ひと》たちは、急《きゅう》に立《た》ちどまります。地面《じめん》に一|匹《ぴき》の生きものが跳《と》んでいるのを見つけたのです。なるほど跳《と》ぶはずです、その生《い》きものというのは蛙《かえる》で、道《みち》ばたの草原《くさはら》まで行こうと思っているのです。その草原は蛙《かえる》さんのお国です。蛙さんには大切《たいせつ》なお国です。そこの小川《おがわ》のそばに自分のお屋敷《やしき》があるんですから。そこで蛙《かえる》さんは跳《と》んで行きます。
蛙というものは、天然自然《てんねんしぜん》の細工物《さいくもの》として、これはたいしたものです。
この蛙は緑色《みどりいろ》です。まるで青い木の葉のような恰好《かっこう》を
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