うに警察の門を入って行ったが、係の者がいないといって拒絶された。それから彼女は、毎日のようにY署へ行った。特高に何百遍も頭を下げた。
そしてある日の夕方――母親はやっと娘を引き渡して貰った。
「みを子――」
蝋のように蒼ざめ、透き徹った娘の顔を見ると、彼女はただ胸が一ぱいになった。
もう袷を着る季節だのに、みを子はまだ、家を出る時に着ていた絣の単衣を着たままだった。母親は風呂敷の中から羽織を出して着せた。
みを子は母親の肩に掴まって、危ぶない足許《あしもと》を踏みしめて、警察の段々を降りた。外に出ても母親はハンカチを眼頭に宛てて泣いていた。
「ナニ泣いてんの、母さん――」
みを子は横眼で鋭く母親を見ていった。
「先刻《さっき》からみっともないったらありゃしない。私は何も警察へなんか母さんに頭を下げて貰うような、悪いことをしたんじゃないんですよ。」
母親にとっては、それが二ケ月めでやっと逢うことのできた娘の、最初にかけてくれた言葉なのだった。
『娘も変わってしまった――』と彼女は思った。しかし、そういうみを子の気持ちもよく解らないのではなかった。
母親がみを子を連れて家へ帰ってゆくと、職場で喀血してから、仰臥したきりの兄は、久しぶりに妹を見て、壁のような頬にサッと血を上せた。しかし何もいわなかった。
そしてある日、彼は前と別人のような素直さでみを子に話しかけた。
「あの、何といったッけねあの人は、そうだ山崎といったね。あの人は今、どうしているんでい?今度は一ペんも訪ねて来ない。」
「あの人やられました」
「そうか――」
「多分もう、市ヶ谷へ廻った時分でしょう。」
「やっぱりああいう人が男だ! 俺なんかこうして患っているうちに馘だ。どう足掻《あが》いたって仕方がない。こうして死ぬのを待ってるようなもんだ。」
壁の方へ伸ばした長い足は、掛け蒲団[#底本では「薄団」と誤記]の上からでも痛々しく骨ばって見えた。
帰って来て半月ばかり経ったある日、また、みを子は「ちょっとそこまで――」といって出たきり帰らなかった。夜になっても帰らない。
母親は前のこともあるので、泣かないばかりに胸をすぼめて考え込んでしまった。
何か書き遺してでも行きはしないか――彼女はみを子の持ちものの間を捜し廻った。
何もなかった。ただ一通、ノートの間に手紙が挟まっていた。黄色
前へ
次へ
全9ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
若杉 鳥子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング