母親
若杉鳥子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)馘《くび》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)友人一人|悼《いた》みに

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)自分の手からむしり[#「むしり」に傍点]とってでも
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 みを子が会社を馘《くび》になってから、時々、母親の全く知らない青年が訪ねて来た。
 朝早くやってくることもあれば、昏れてからくることもあった。青年は一度でも、「こんちは」とか、「御めん下さい」とかいったためしがない。人の出てくるまで、のっそりと土間の隅に立っていた。
「みをさんいますか?」
 ただそれだけいった。額の高い、眼の黒い、やや猫背の男――しかし一度、会った人は忘れないであろう印象の強い男だ。
 みを子は、その青年と二三分立ち話をして引ッ込んでくることもあれば、一緒に出て行って長いこと帰らないこともあった。
「あの人、何処《どこ》の人だえ?」
 母親が何気ない風をしてきくと、
「もと、会社にいたひと。」
 みを子も何気ない風にこたえた。
 だが、会社員という風でもない――と母親は思った。学生のようでもあり、労働者のようでもある。その実、いつもキチンと背広にネクタイを結んでいる。
 母親は何故かその青年を虫が好かなかった。その男がやってくる度に、娘を少しずつ自分の手からむしり[#「むしり」に傍点]とってでも行くような気がした。
「ああいう人とは、あんまり近しくしない方が、よかあないか。」
 母親がそんなことでもいうと、みを子は険しい眼つきをして母親を見た。

 母親は、みを子が会社を馘にされたのを、何か非常に不名誉なことででもあるように思って、そのことは、みを子の兄にも秘していた。すると、ある日の新聞は、『全協の魔の手伸びる』とか、『赤い女事務員』とか、そういう標題の下に、彼女達の組織しようとしていた、使用人組合の分会準備会がばれたことを、デカデカと書いていた。それですっかり、みを子の馘になった理由が、兄にも知れてしまった。
 長い間木版工をして、現在は印刷局に勤めているみを子の兄は、その晩殊に機嫌が悪かった。――肺を患っていて、自分の馘も危ぶないのに、この上妹のことでも影響して失業でもしたら、これからどうして食べて行く!
 妹がひどく身勝手なことでもやったよう
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