方へ声をかけてから、
「池田さんはいま洗濯してますから、上って待っていて下さい。」
台所で水を使う音がしていた。
彼女は、骨のはみ出した椅子に腰かけて周囲を見廻した。
三畳と八畳と二間ぶちぬいた真ン中に、大きな卓子が二つ頑ばっていて、眼鏡をかけた先刻の女が、傍目もふらずぺンを動かしてる。
彼女の腰かけている正面には、古本屋の倉庫のように、ズラリと本が並んでいる。横文字のも、おそろしくむずかしそうなのも、また文学書のようなのもあった。
しかし、まだもっと彼女を不思議がらせるものがあった。室の一隅の壁には、下から五六段ばかりの高い棚があって、質屋のように沢山の着物と帽子が載せてある。
此処は一体何をする処なんだろう――と彼女は頻りと考えていた。
「私、池田です。」
そこへまさ子が朝鮮服のようなものを着て出て来た。眼のくりッとした娘だった。
彼女はまさ子にくどくどと挨拶してから、[#底本では、この行頭の1字下げなし]
「あの、みを子は、亀戸の方にいるってことでございますが、それ本当でござんすかしら………」
「みをさんですか? とても勇敢にやっているんですよ。」
まさ子は子供っぼい大きい眼を輝して、
「ええ、南葛にこの間まで――でも今度他の地区に変わったんですよ。」
「そして、あれから始終あなたの処へ、何かたよりがありますでしょうか?」
「ええ、ここの仕事が忙しいんで滅多には会えないんですけれど、そりゃ始終ことづけはあるんです。」
「――此処の仕事というと?」
まさ子は眼をぐりッと動かした。[#底本では、この行頭の1字下げなし]
「救援会の事務です!」
「それでは、あの、此処が――」
彼女は娘から救援会の話をきいていた。
――無産者解放運動の犠牲者や、その家族の救援運動をするために、白テロと戦いながら公然と看板を出して、あくまで犠牲者の便宜に備えている処だ。それは丁度、暗い海の燈台のような役目をするんだ………と。
そうと知って、彼女はまた新しく室内を見廻した。
「あの本は、みんな牢から戻って来た本なんですね?」
「ええ一通りもう、市ヶ谷も豊多摩も廻って来ました。」
「これは何です? これはッ?」
彼女は珍らしそうに、卓子の上のカードを指してきいた。
「これですか? これは犠牲者の姓名と、差入れ、その他のことを記入するカードです。」
――この中に
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