は、山崎二郎の分もきっとあるに違いない! と思った。
彼女は息子に死なれてから、妙に山崎のことを考えた。
「あれは何です? あれは?」
彼女は先刻から大きい疑問としていた隅ッこの棚の前へ立って行った。
棚は五段になっていた。一人分ずつ帽子と着物とが括ってあった。
中折れと洋服、鳥打ちと紺絣、青服と鳥打、詰襟、立縞、スプリングコートまである。
学生、労働者、小商人、そこには皆の脱ぎ棄てた、男の雑多な服装があった。
彼女は皹《ひび》だらけな大きい手で、一つ一つ撫で廻して見た。――捕る時まで体を包んでいたその着物には、まだ皆の熱い血が、ほとぼりを残しているようにさえ思えるのだ。
春、夏、秋、冬、白い夏服、綿入、外套、帽子がその検挙の季節をさえ、まざまざと語っていた。
「これ、みんな、引き取り人のない人のですか?」
彼女は鼻をつまらせてきいた。
「ええそうです。親も兄弟もない独り者で、入ってからただ一度の差入れもない人も沢山あるのです。それからまた立派な家があっても、この運動に入るためには、肉親と縁を切った人も沢山あるんです。」
――それはみんな、息子であり娘であり、一筋の血だ! 彼女は感動に堪えられなくなって、荒れた骨ぶとな手で顔を掩うた。
それから間もなく彼女は家をたたんだ。そして娘の友達のまさ子と一緒に事務所の傍の長屋に移った。知らない人はまさ子の本当の母かと思う位、まさ子について何処へでも出かけた。まさ子の代わりに警察へも行った。
「てめえ、救援会だろう――」
「いえ、私は××の母です。」
「一緒にブチ込んで[#底本では「プチ込んで」と誤記]やるぞォ」
何と脅かされても、根気よく彼女は差入れに行った。毎日出かけた。そしていつでも、目的を達して来た。
「まあ、おばさんには奴らだってとても敵《かな》わないわ。」
まさ子は感服すると、彼女は経験を誇るように、
「やっぱり、倒れるまでやらにゃあ――」
反身になって、晴れ晴れという。
そして各地区に洗濯デーがあると、誰よりも先に出掛けて行くのは彼女だった。
底本:「渡良瀬の風」武蔵野書房
1998(平成10)年11月9日初版発行
底本の親本:「月刊批判11月号」我等社
1931(昭和6)年11月1日発行
「年刊日本プロレタリア創作集1932年版(改定版)」日本プロレタリア作
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