――それを見つめていると、母親は肌寒いものが背筋を走るのだった。複雑をきわめた線と線との間に、息子の命が日々に少しずつ磨滅してゆくのを、眼の前に見せられる気がした。
「お母さん――俺は永いこと苦労をかけたナ。」
ある時、彼は床の上に半身を起こして、自分の手や足を眺めていった。
「俺が死んだら、お母さんはどうする?」
「どうするって、癒ってくれなくちゃ困るじゃないか。」
「どんなことしても、みを子を捜し出さなくちゃいけないよ。ほら、この前、みを子が警察にいたのを知らしてくれた人、あの人に会ってきいてみたら解る。あの人の手紙、ちゃんと、とってあるだろうね?」
「市ヶ谷富久町×××番地とある。名前は池田まさ――と書いてあるよ。」
そのあくる朝だった。母親が湯たんぽ[#底本では「湯たんぼ」と誤記]をとりかえるために、病人の足に触ったら、しんしんと冷めたくなっていた。揺り起こして見たが返事もしなかった。
息子はとうとう壁の方を向いて、知らないうちに絶息していた。
ふだんから偏屈な独りぼっちの男だったので、友人一人|悼《いた》みに来なかった。また知らしてやる処もなかった。
俺が馘にでもなって見ろ。この生活は誰が背負うんだ――息子はよく口癖にそういって、自分や娘にあたった。だが、全くあれには青年らしい日が一日もなく死んでしまった――そのことを母親は一番辛く考えた。
しかし長い間の病人を見送って、彼女は今始めて、台所と子育てとの不生産的な生活から解き放たれたような気がした。
市ヶ谷富久町は、古い細かい家のごたごたした街だった。池田という家は人にきいても解らなかった。彼女は一時間もまごついた末、やっと曲がりくねった小路の突き当たりに、その家を発見した。
「池田さんはこちらですか?」
格子を入って、内部の様子を見た。どうも普通の家らしくない――と思った。
本や、椅子や、卓子《テーブル》がごたごたと置き並べてある。医者にしては薬品のようなものもないようだし、雑誌社にしては汚らしいし、ハテ、それとも夜学の先生の処かしら――と思いながら、不安な気持ちで彼女は立っていた。
そこへ色の浅黒い眼鏡をかけた女が顔を出して、いった。
「どなたの、御家族の方ですか?」
「池田まささんという人に会いたいんですが――私は、青木の、青木みをの母です。」
「池田さん――」
眼鏡の女は奥の
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