。それならば小説にいつか天現寺橋の辺りとありましたよ』とその橋を教えて呉れました。天現寺橋なんて名前すらも初めて聞くので御座います。漸《ようよ》うにして其のお玄関に辿りついた時は、何しろ二時間も足駄を引き摺ったのでしたから、足袋は切れる足は痛む、馴れないので全身綿のように疲れていました。
 問いたいと思う事も口に出ず、思い切って問題を提出すれば、八千代女史は謙虚に、
『私達にはわかりませんで御座います。』とお逃げ遊ばす。それを突っ込む勇気もなければ、術《すべ》も知らず、唯話の途絶えめ途絶えめを、何処からかカンナの音が響いて来ます。その間の悪かった事はお話になりません。
 談話は断片的で社へ帰ったとて、記事になりそうもなく、その焦慮と恥ずかしさが込み上げて、座に居堪えないようで御座いました。それでも日頃尊敬していた人に見《まみ》えた、一種の満足を得て、私は社へ帰って参りました。初めての事で非常に印象強く、どうか斯うか纏めて書きました。

   自分を殺してかかる
 男の方を訪問するのは割合に楽で、問題さえ提出すれば大抵の方はお話し下さるので、別に呼吸も何も要りませんが、婦人にして訪問記者
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