八千代女史のお宅だと覚えています。

       訪問難
 東京の地理さえも委しく知らず、何でも渋谷の伊達という邸《やしき》の跡と聞いたので、青山の終点で電車を下りました。――今思えば割合に大胆でしたね――そして、伊達跡伊達跡と尋ね廻ったけれども、一向わかりません。
 酒屋で聞いても薪屋で聞いても知れません。凡そ二時間も渋谷の野をうろついて、漸く差配をしている、駄菓子屋のお爺さんに尋ねますと、『その岡田さんというのは何を商売にしていなさるんです。』といった。『美術家、あの絵をお書きになるのです。』お爺さんは此の界隈で有名な識者《ものしり》だそうですが、猶首を傾けて考え込んで居まして、
『それでは、俺《わし》の姪にあたるのですが、その亭主が絵師《えかき》ですから、其処《そこ》へ行ってお聞きなさい、ナアニ、直き向こうの小さい家です』と親切に教えて呉れました。
 日当たりの悪い茅葺き屋根の家です。御免下さいとおとなえば、若い病みあがりらしい妻君が、蒼い顔をして出て来ました。その妻君も『岡田さん――、美術家――』と、暫く考え込んでいましたが、
『その方の奥さんでしょう、小説をお書きになるのは
前へ 次へ
全11ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
若杉 鳥子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング