けれども、もうみどりを押し隠すひまも何もなかった。
櫛を持って前髪をかいていたみどりは背後から、
『みどり――』
そう呼びかけられて何気なく振り向こうとした刹那、みどりは火のような叫び声を挙げて突然往来へ飛び出した。
その時彼女の肩口から、血潮がどんな風にどうだったか、冷静に見ていた人はひとりもない。兎に角みどりは切られながらも全力を挙げて隣家のF楼へ遁げこんだが、刀を提げた彼の男は執拗に女を追った。
みどりはF楼へ救いを求めたのだったが、もうこうなっては、誰も彼も傍観者だ! [#底本では「!」の後の全角スペースなし]血眼になって追い迫る男を見ては、声を出す事すらできなかった。
F楼の廊下から中庭の飛び石へ、離室《はなれ》からまた店へ――彼女の遁げめぐる痕々《あとあと》へ生命の最後の赤い点滴が綴られた。
追われ追われて、彼女は再び往来をめがけて外に突進しようとして、F楼の上がり框《かまち》から地面へ飛び降りた。それがもうみどりの最後の努力だった。
その時丁度F楼の軒下に瓦斯工事が行われつつあったので、深い溝が掘り下げてあった。運命なのか、地面へ飛び下りるつもりの彼女は、丁
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