いのが彼女の境遇ではあったが、遊びぶりの大名のような寛大な処のある彼に、みどりは職業相当の笑顔は向けていた。然し彼の素性が何時迄も耳に入らない筈はない。警察から楼主へ、楼主から朋輩へ――、
『みどりさんのあのお客は、大へんな大泥棒だって、ああこわい、こわい。』
 本人のみどりよりも朋輩達が、彼の入って来る顔を見ると、皆一所に寄り添うようにして、露骨に恐怖と憎悪とを表した。
 そういう事に敏感ででもあろう彼は、H楼全体の自分への仕向けが、癪に障っている処へ肝心のみどりは、何時も病気だと称して姿を匿してしまうようになった。
 客の素性を知ってしまった今は、その客の噂を耳にするさえ悪寒がしたそうだ。
 昔からよくある慣いの事ではあるが、生来残忍な自暴自棄の彼だから、忽ち復讐心に燃えずにはいられなかった。
 ある日の夕方、みどりは赤い長襦袢一つで、お風呂から上がって女部屋の鏡台に向かっていた。
 綺麗に掃除がすんでお客の上がる入り口の閾の上にピラミッド式の盛り塩が、三つばかり人待ち顔に並んでいた。
 其処からツカツカと入って来たのは彼だった。H楼の人達は、彼を見るなりギクッとして互いに狼狽した
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