》に当《あ》たりました。元々《もともと》武芸《ぶげい》の家柄《いえがら》である上に、生《う》まれ付《つ》き弓矢《ゆみや》の名人《めいじん》で、その上|和歌《わか》の道《みち》にも心得《こころえ》があって、礼儀作法《れいぎさほう》のいやしくない、いわば文武《ぶんぶ》の達人《たつじん》という評判《ひょうばん》の高《たか》い人だったのです。

     二

 頼政《よりまさ》は仰《おお》せを承《うけたまわ》りますと、さっそく鎧胴《よろいどう》の上に直垂《ひたたれ》を着《き》、烏帽子《えぼうし》を被《かぶ》って、丁七唱《ちょうしちとなう》、猪早太《いのはやた》という二人《ふたり》の家来《けらい》をつれて、御所《ごしょ》のお庭《にわ》につめました。唱《となう》には雷上動《らいじょうどう》という弓《ゆみ》に黒鷲《くろわし》の羽《はね》ではいた水破《すいは》という矢《や》と、山鳥《やまどり》の羽《はね》ではいた兵破《ひょうは》という矢《や》を持《も》たせました。早太《はやた》には骨食《ほねくい》という短刀《たんとう》を懐《ふところ》に入《い》れてもたせました。
 ちょうど五月雨《さみだれ》が降《ふ
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