》い所《ところ》の名《な》で、その富《とみ》の小川《おがわ》の流《なが》れの絶《た》えてしまうことはあろうとも、太子《たいし》さまの今日《きょう》のお情《なさ》けをけっして忘《わす》れる時《とき》はございませんというのでございます。
 さて太子《たいし》は奈良《なら》の京《きょう》へお帰《かえ》りになりましたが、その後《あと》で片岡山《かたおかやま》のこじきは、とうとう死《し》んでしまいました。太子《たいし》はそれをお聞《き》きになって、たいそうお嘆《なげ》きになり、手《て》あつく葬《ほうむ》っておやりになりました。それを聞《き》いた七|人《にん》の大臣《だいじん》が、太子《たいし》さまともあるものがそんな軽々《かるがる》しい事《こと》をなさるとはといって、やかましく小言《こごと》を申《もう》しました。太子《たいし》はその話《はなし》をお聞《き》きになると、七|人《にん》の大臣《だいじん》を呼《よ》び出《だ》して、
「お前《まえ》たちはそんなむずかしいことをいっていないで、まあ片岡山《かたおかやま》へ行ってごらん。」
 とおっしゃいました。
 大臣《だいじん》たちはぶつぶつ言《い》いな
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