《ち》の上に四|尺《しゃく》も高《たか》く積《つも》りました。その蓮花《れんげ》を明《あ》くる朝《あさ》天子《てんし》さまが御覧《ごらん》になって、そこに橘寺《たちばなでら》というお寺《てら》をお立《た》てになりました。
またある時《とき》、日本《にほん》の国《くに》からシナの国《くに》へ、小野妹子《おののいもこ》という人をお使《つか》いにやることになりました。その時《とき》太子《たいし》は妹子《いもこ》に向《む》かい、
「シナの衡山《こうざん》という山の上のお寺《てら》は、むかしわたしが住《す》んでいた所《ところ》だ。その時分《じぶん》いっしょにいた僧《そう》たちはたいてい死《し》んだが、まだ三|人《にん》は残《のこ》っているはずだから、そこへ行って、むかしわたしが始終《しじゅう》つかっていた法華経《ほけきょう》の本《ほん》をさがして持《も》って来《き》ておくれ。」
とおっしゃいました。
妹子《いもこ》はおいいつけの通《とお》り、シナへ渡《わた》るとさっそく、衡山《こうざん》という所《ところ》へたずねて行きました。そしてその山の上のお寺《てら》へ行くと、門《もん》に一人《ひとり
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