した。
 それからまたある時《とき》、義家《よしいえ》はいつものとおり宗任《むねとう》を一人《ひとり》お供《とも》につれて、大臣《だいじん》の藤原頼通《ふじわらのよりみち》という人のお屋敷《やしき》へよばれて行ったことがありました。頼通《よりみち》は義家《よしいえ》にくわしく奥州《おうしゅう》の戦争《せんそう》の話《はなし》をさせて聞《き》きながら、おもしろいので夜《よ》の更《ふ》けるのも忘《わす》れていました。ちょうどその時《とき》、このお屋敷《やしき》にその時分《じぶん》学者《がくしゃ》で名高《なだか》かった大江匡房《おおえのまさふさ》という人が来合《きあ》わせていて、やはり感心《かんしん》して聞《き》いていましたが、帰《かえ》りがけに一言《ひとこと》、
「あの義家《よしいえ》はりっぱな大将《たいしょう》だが、惜《お》しいことに戦《いくさ》の学問《がくもん》ができていない。」
 とひとり言《ごと》のようにいいました。するとそれを玄関先《げんかんさき》で待《ま》っていた宗任《むねとう》が小耳《こみみ》にはさんで、後《あと》で義家《よしいえ》に、
「匡房《まさふさ》がこんなことをいって
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