えして、逃《に》げて行こうとしますと、義家《よしいえ》は後《うし》ろから大きな声《こえ》で、
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「衣《ころも》のたては
ほころびにけり。」
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 と和歌《わか》の下《しも》の句《く》をうたいかけました。すると貞任《さだとう》も逃《に》げながら振《ふ》り向《む》いて、
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「年《とし》を経《へ》し
糸《いと》の乱《みだ》れの
苦《くる》しさに。」
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 とすぐに上《かみ》の句《く》をつけました。これは戦《いくさ》の場所《ばしょ》がちょうど衣川《ころもがわ》のそばの「衣《ころも》の館《たて》」という所《ところ》でしたから、義家《よしいえ》が貞任《さだとう》に、
「お前《まえ》の衣《ころも》ももうほころびた。お前《まえ》の運《うん》ももう末《すえ》だ。」
 とあざけったのでございます。すると貞任《さだとう》も負《ま》けずに、
「それはなにしろ長年《ながねん》の戦《いくさ》で、衣《ころも》の糸《いと》もばらばらにほごれてきたからしかたがない。」
 とよみかえしたのでした。
 これで義家《よしいえ》もいかにも貞任《さだとう》がかわいそうになって、その日はそのまま見逃《みのが》してかえしてやりました。
 けれども一|度《ど》は逃《に》がしてやっても、いったい運《うん》の尽《つ》きたものはどうにもならないので、間《ま》もなく貞任《さだとう》は殺《ころ》され、弟《おとうと》の宗任《むねとう》も生《い》け捕《ど》りになって、奥州《おうしゅう》の荒《あら》えびすは残《のこ》らず滅《ほろ》びてしまいました。そこで頼義《よりよし》と義家《よしいえ》の二人《ふたり》は九|年《ねん》の苦《くる》しい戦《いくさ》の後《のち》、生《い》け捕《ど》りの敵《てき》を引《ひ》き連《つ》れて、めでたく京都《きょうと》へ凱旋《がいせん》いたしました。

     三

 京都《きょうと》へ帰《かえ》って後《のち》、敵《てき》の大将《たいしょう》の宗任《むねとう》はすぐに首《くび》を切《き》られるはずでしたけれど、義家《よしいえ》は、
「戦《いくさ》がすんでしまえば、もう敵《てき》も味方《みかた》もない。むだに人の命《いのち》を絶《た》つには及《およ》ばない。」
 と思《おも》いました。そこで天子《てんし》さまに願《ねが》っ
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