らにある弓《ゆみ》に矢《や》をつがえて、無造作《むぞうさ》に放《はな》しますと、鎧《よろい》を三|枚《まい》とおして、後《うし》ろに五|寸《すん》も鏃《やじり》が出ていました。

     二

 大きくなって、義家《よしいえ》はおとうさんの頼義《よりよし》について、奥州《おうしゅう》の安倍貞任《あべのさだとう》、宗任《むねとう》という兄弟《きょうだい》の荒《あら》えびすを征伐《せいばつ》に行きました。その戦《いくさ》は九|年《ねん》もつづいて、その間《あいだ》にはずいぶんはげしい大雪《おおゆき》に悩《なや》んだり、兵糧《ひょうろう》がなくなって危《あや》うく餓《う》え死《じ》にをしかけたり、一|時《じ》は敵《てき》の勢《いきお》いがたいそう強《つよ》くって、味方《みかた》は残《のこ》らず討《う》ち死《じ》にと覚悟《かくご》をきめたりしたこともありましたが、その度《たび》ごとにいつも義家《よしいえ》が、不思議《ふしぎ》な智恵《ちえ》と勇気《ゆうき》と、それから神様《かみさま》のような弓矢《ゆみや》の技《わざ》で敵《てき》を退《しりぞ》けて、九分九厘《くぶくりん》まで負《ま》け戦《いくさ》にきまったものを、もり返《かえ》して味方《みかた》の勝利《しょうり》にしました。
 それで戦《たたか》えば戦《たたか》うたんびに八幡太郎《はちまんたろう》の名《な》が高《たか》くなりました。さすがの荒《あら》えびすもふるえ上《あ》がって、しまいには八幡太郎《はちまんたろう》の名《な》を聞《き》いただけで逃《に》げ出《だ》すようになりました。
 けれども、強《つよ》いばかりが武士《ぶし》ではありません。八幡太郎《はちまんたろう》が心《こころ》のやさしい、神様《かみさま》のように情《なさ》けの深《ふか》い人だということは、敵《てき》すらも感《かん》じて、慕《した》わしく思《おも》うようになりました。
 それはもう長《なが》い長《なが》い九|年《ねん》の戦《たたか》いもそろそろおしまいになろうという時分《じぶん》のことでした。ある日はげしい戦《いくさ》のあとで、義家《よしいえ》は敵《てき》の大将《たいしょう》の貞任《さだとう》とただ二人《ふたり》、一|騎《き》打《う》ちの勝負《しょうぶ》をいたしました。そのうちとうとう貞任《さだとう》がかなわなくなって、馬《うま》の首《くび》を向《む》けか
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