ろの門《もん》の七八|寸《すん》もあろうという扉《とびら》をぷすりと射《い》ぬきました。これだけで義朝《よしとも》は胆《きも》を冷《ひや》して、これも外《ほか》の門《もん》へ逃《に》げ出《だ》して行きました。
 こうして為朝《ためとも》一人《ひとり》に射《い》すくめられて、その守《まも》っている門《もん》にはだれも近《ちか》づきませんでしたが、なんといっても向《む》こうは人数《にんずう》が多《おお》い上に、こちらの油断《ゆだん》につけ込《こ》んで夜討《よう》ちをしかけて来《き》たのですから、はじめから元気《げんき》がちがいます。とうとう外《ほか》の門《もん》が一つ一つ片《かた》はしからうち破《やぶ》られ、やがてどっと総《そう》くずれになりました。
 こうなると為朝《ためとも》一人《ひとり》いかに力《りき》んでもどうもなりません。例《れい》の二十八|騎《き》もちりぢりになってしまったので、ただ一人《ひとり》近江《おうみ》の方《ほう》へ落《お》ちて行きました。
 その後《のち》、新院《しんいん》はおとらわれになって、讃岐《さぬき》の国《くに》に流《なが》され、頼長《よりなが》は逃《に》げて行《い》く途中《とちゅう》だれが射《い》たともしれない矢《や》に射《い》られて死《し》にました。
 おとうさんの為義《ためよし》はじめ兄弟《きょうだい》たちは残《のこ》らずつかまって、首《くび》をきられてしまいました。
 その中で為朝《ためとも》は一人《ひとり》、いつまでもつかまらずに、近江《おうみ》の田舎《いなか》にかくれていましたが、戦《いくさ》の時《とき》にうけたひじの矢《や》きずがはれて、ひどく痛《いた》み出《だ》したものですから、ある時《とき》近所《きんじょ》の温泉《おんせん》に入《はい》って矢《や》きずのりょうじをしていました。するとかねてから為朝《ためとも》のゆくえをさがしていた平家《へいけ》の討《う》っ手《て》が向《む》かって、為朝《ためとも》の油断《ゆだん》をねらって、大勢《おおぜい》一|度《ど》におそいかかってつかまえてしまいました。
 為朝《ためとも》はそれから京都《きょうと》へ引《ひ》かれて、首《くび》をきられるはずでしたが、天子《てんし》さまは為朝《ためとも》の武勇《ぶゆう》をお聞《き》きになって、
「そういう勇士《ゆうし》をむざむざと殺《ころ》すのはもったいない。なんとかして助《たす》けてやったらどうか。」
 とおっしゃいました。そこで為朝《ためとも》の死罪《しざい》を許《ゆる》して、その代《かわ》り強《つよ》い弓《ゆみ》の引《ひ》けないように、ひじの筋《すじ》を抜《ぬ》いて伊豆《いず》の大島《おおしま》に流《なが》しました。
 為朝《ためとも》は筋《すじ》を抜《ぬ》かれて弓《ゆみ》は少《すこ》し弱《よわ》くなりましたが、ひじがのびたので、前《まえ》よりもかえって長《なが》い矢《や》を射《い》ることができるようになりました。

     五

 為朝《ためとも》は大島《おおしま》へ渡《わた》ると、
「おれは八幡太郎《はちまんたろう》の孫《まご》だ。この島《しま》は天子《てんし》さまから頂《いただ》いたものだ。」
 といって、島《しま》を討《う》ち従《したが》えてしまいました。そのうち方々《ほうぼう》にかくれていた為朝《ためとも》の家来《けらい》が、一人《ひとり》二人《ふたり》とだんだん集《あつ》まって来《き》て為朝《ためとも》につきました。
「九州《きゅうしゅう》よりはずっと小《ちい》さいが、また為朝《ためとも》の国《くに》ができた。」
 こういって、為朝《ためとも》はここでも王《おう》さまのような威勢《いせい》になりました。
 ある時《とき》為朝《ためとも》は海《うみ》ばたに出て、はるか沖《おき》の方《ほう》をながめていますと、白《しろ》いさぎと青《あお》いさぎが二|羽《わ》つれ立《だ》って海《うみ》の上を飛《と》んで行きます。為朝《ためとも》はそれをながめて、
「わしかなんぞなら知《し》らないが、さぎのような羽《はね》の弱《よわ》いものでは、せいぜい一|里《り》か二|里《り》ぐらいしか飛《と》ぶ力《ちから》はないはずだ。それがああして行くところを見《み》ると、きっとここからそう遠《とお》くないところに島《しま》があるにちがいない。」
 といって、そのまま小船《こぶね》にとび乗《の》って、さぎの飛《と》んで行った方角《ほうがく》に向《む》かってどこまでもこいで行きました。
 その日一|日《にち》こいで、海《うみ》の上で日がくれましたが、島《しま》らしいものは見《み》つかりません。夜《よる》はちょうど月のいいのを幸《さいわ》いに、またどこまでもこいで行きますと、明《あ》け方《がた》になって、やっと島《しま》らしいものの形《かたち》が見《み》えました。
 為朝《ためとも》はだんだんそばへよってみますと、岸《きし》は岩《いわ》がけわしい上に波《なみ》が高《たか》いので、船《ふね》が着《つ》けられません。さんざん回《まわ》りをこぎ回《まわ》りますと、やっと平《たい》らな州《す》のようなところがあって、島《しま》の中から小《ちい》さな川がそこに流《なが》れ出《だ》していました。
 為朝《ためとも》はそこから上《あ》がって、ずんずん奥《おく》へ入《はい》って見《み》ますと、一めん、岩《いわ》でたたんだような土地《とち》で、田《た》もなければ畠《はた》もありません。ところどころに見《み》なれない草木《くさき》が生《は》えて、珍《めずら》しい匂《にお》いの花《はな》が咲《さ》いていました。
 いくら歩《ある》いても家《いえ》らしいものも見《み》えませんでしたが、そのうちいつどこから出て来《き》たか、一|丈《じょう》も背《せい》の高《たか》さのある大男《おおおとこ》がのそのそと出て来《き》ました。まっくろな体《からだ》に毛《け》がもじゃもじゃ生《は》えて、頭《あたま》の髪《かみ》の毛《け》はまっ赤《か》で、針《はり》を植《う》えたようでした。
 為朝《ためとも》は不思議《ふしぎ》に思《おも》って、
「この島《しま》は何《なん》という島《しま》だ。」
 と大男《おおおとこ》の一人《ひとり》に聞《き》きますと、
「鬼《おに》ガ島《しま》といいます。」
 とこたえました。
 為朝《ためとも》は、いよいよ珍《めずら》しく思《おも》って、
「じゃあお前《まえ》たちは鬼《おに》か。それとも先祖《せんぞ》が鬼《おに》だったのか。」
 とたずねました。
「そうです。わたくしどもは鬼《おに》の子孫《しそん》です。」
「鬼《おに》ガ島《しま》なら、宝《たから》があるだろう。」
「むかしほんとうの鬼《おに》だった時分《じぶん》には、かくれみのだの、かくれがさだの、水の上を浮《う》く靴《くつ》だのというものがあったのですが、今《いま》では半分《はんぶん》人間《にんげん》になってしまって、そういう宝《たから》もいつの間《ま》にかなくなってしまいました。」
「よその島《しま》へ渡《わた》ったことはないか。」
「むかしは船《ふね》がなくっても、ずんずん、よその島《しま》へ行って、人をとったりしたこともありましたが、今《いま》では船《ふね》もないし、たまによそから風《かぜ》にふきつけられてくる船《ふね》があっても、波《なみ》が荒《あら》いので、岸《きし》に上《あ》がろうとすると岩《いわ》にぶつかって砕《くだ》けてしまうのです。」
「何《なに》を食《た》べて生《い》きている。」
「魚《さかな》と鳥《とり》を食《た》べます。魚《さかな》はひとりでに磯《いそ》に上《あ》がって来《き》ます。穴《あな》を掘《ほ》ってその中にかくれて、鳥《とり》の声《こえ》をまねていると、鳥《とり》はだまされて穴《あな》の中にとび込《こ》んで来《き》ます。それをとって食《た》べるのです。」
 こういっている時《とき》に、ひよどりのような鳥《とり》がたくさん空《そら》の上をかけって来《き》ました。為朝《ためとも》はもって来《き》た弓《ゆみ》に矢《や》をつがえて、鳥《とり》に向《む》かって射《い》かけますと、すぐ五六|羽《ぱ》ばたばたと重《かさ》なり合《あ》って落《お》ちて来《き》ました。
 島《しま》の大男《おおおとこ》は弓矢《ゆみや》を見《み》たのは初《はじ》めてなので、目をまるくして見《み》ていましたが、空《そら》を飛《と》んでいるものが、射落《いお》とされたのを見《み》て、舌《した》をまいておじおそれました。そして為朝《ためとも》を神《かみ》さまのように敬《うやま》いました。
 為朝《ためとも》は鬼《おに》ガ島《しま》を平《たい》らげたついでに、ずんずん船《ふね》をこぎすすめて、やがて伊豆《いず》の島々《しまじま》を残《のこ》らず自分《じぶん》の領分《りょうぶん》にしてしまいました。そして鬼《おに》ガ島《しま》から大男《おおおとこ》を一人《ひとり》つれて、大島《おおしま》へ帰《かえ》って来《き》ました。
 大島《おおしま》の者《もの》は、為朝《ためとも》が小船《こぶね》に乗《の》って出たなり未《いま》だに帰《かえ》って来《こ》ないので、どうしたのかと思《おも》っていますと、ある日《ひ》恐《おそ》ろしい鬼《おに》をつれてひょっこり帰《かえ》って来《き》たので、みんなびっくりしてしまいました。

     六

 こうして為朝《ためとも》は十|年《ねん》たたないうちに、たくさんの島《しま》を討《う》ち従《したが》えて、海《うみ》の王《おう》さまのような勢《いきお》いになりました。すると為朝《ためとも》のために大島《おおしま》を追《お》われた役人《やくにん》がくやしがって、ある時《とき》都《みやこ》に上《のぼ》り、為朝《ためとも》が伊豆《いず》の七|島《とう》を勝手《かって》に奪《うば》った上に、鬼《おに》ガ島《しま》から鬼《おに》をつれて来《き》て、らんぼうを働《はたら》かせている、捨《す》てて置《お》くと、今《いま》にまた謀反《むほん》の戦《いくさ》をおこすかもしれませんといって訴《うった》えました。
 天子《てんし》さまはたいそうおおどろきになり、伊豆《いず》の国司《こくし》の狩野介茂光《かののすけしげみつ》というものにたくさんの兵《へい》をつけて、二十|余艘《よそう》の船《ふね》で大島《おおしま》をお攻《せ》めさせになりました。
 為朝《ためとも》は岸《きし》の上からはるかに敵《てき》の船の帆《ほ》かげを見《み》ると、あざ笑《わら》いながら、
「久《ひさ》しぶりで腕《うで》だめしをするか。」
 といって、例《れい》の強《つよ》い弓《ゆみ》に長《なが》い矢《や》をつがえて、まっ先《さき》に進《すす》んだ大きな船《ふね》の胴腹《どうばら》をめがけて矢《や》を射込《いこ》みました。すると船《ふね》はみごとに大穴《おおあな》があいて、たくさんの兵《へい》を乗《の》せたまま、ぶくぶくと海《うみ》の中に沈《しず》んでしまいました。敵《てき》はあわてて海《うみ》の中でしどろもどろに乱《みだ》れて騒《さわ》ぎはじめました。
 為朝《ためとも》はつづいて二の矢《や》をつがえようとしましたが、船《ふね》を沈《しず》められた大《おお》ぜいの敵兵《てきへい》が、おぼれまいとして水の中であっぷ、あっぷもがいている様子《ようす》を見《み》ると、ふとかわいそうになって、
「かれらはいいつけられて為朝《ためとも》を討《う》ちに来《き》たというだけで、もとよりおれにはあだも恨《うら》みもない者《もの》どもだ。そんなものの命《いのち》をこの上むだにとるには忍《しの》びない。それにいったんこうして敵《てき》を退《しりぞ》けたところで、朝敵《ちょうてき》になっていつまでも手向《てむ》かいがしつづけられるものではない。考《かんが》えて見《み》ると、おれもいろいろおもしろいことをして来《き》たから、もう死《し》んでも惜《お》しくはない。おれがここで一人《ひとり》死《し》んでやれば、大《おお》ぜいの命《いのち》が助
前へ 次へ
全4ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング