民《じんみん》たちはみんなうろたえて右《みぎ》に左《ひだり》に逃《に》げ廻《まわ》っていました。どうしたのだろうと思《おも》って聞《き》くと、なんでも今《いま》の天子《てんし》さまの後白河天皇《ごしらかわてんのう》さまと、とうにお位《くらい》をおすべりになって新院《しんいん》とおよばれになった先《さき》の天子《てんし》さまの崇徳院《すとくいん》さまとの間《あいだ》に行きちがいができて、敵味方《てきみかた》に別《わか》れて戦争《せんそう》をなさろうというのでした。朝廷《ちょうてい》が二派《ふたは》に分《わ》かれたものですから、自然《しぜん》おそばの武士《ぶし》たちの仲間《なかま》も二派《ふたは》に分《わ》かれました。そして、後白河天皇《ごしらかわてんのう》の方《ほう》へは源義朝《みなもとのよしとも》だの平清盛《たいらのきよもり》だの、源三位頼政《げんざんみのよりまさ》だのという、そのころ一ばん名高《なだか》い大将《たいしょう》たちが残《のこ》らずお味方《みかた》に上《あ》がりましたから、新院《しんいん》の方《ほう》でも負《ま》けずに強《つよ》い大将《たいしょう》たちをお集《あつ》めになるつもりで、まずおとがめをうけて押《お》しこめられている六条判官為義《ろくじょうほうがんためよし》の罪《つみ》をゆるして、味方《みかた》の大将軍《たいしょうぐん》になさいました。為義《ためよし》はもう七十の上を出た年寄《としよ》り[#「年寄《としよ》り」は底本では「年寄《としより》り」]のことでもあり、天子《てんし》さま同士《どうし》のお争《あらそ》いでは、どちらのお身方《みかた》をしてもぐあいが悪《わる》いと思《おも》って、
「わたくしはこのまま引《ひ》き籠《こも》っていとうございます。」
といって、はじめはお断《ことわ》りを申《もう》し上《あ》げたのですが、どうしてもお聞《き》き入《い》れにならないので、しかたなしに長男《ちょうなん》の義朝《よしとも》をのけた外《ほか》の子供《こども》たちを残《のこ》らず連《つ》れて、新院《しんいん》の御所《ごしょ》に上《あ》がることになりました。
そういうさわぎの中に為朝《ためとも》がひょっこり帰《かえ》って来《き》たのです。為義《ためよし》ももう昔《むかし》のように為朝《ためとも》をしかっているひまはありません。大《おお》よろこびで、さっそく為朝《ためとも》を味方《みかた》に加《くわ》えて、みんなすぐと出陣《しゅつじん》の用意《ようい》にとりかかりました。
四
為朝《ためとも》はやがて二十八|騎《き》の家来《けらい》をつれて新院《しんいん》の御所《ごしょ》に上《あ》がりました。新院《しんいん》は味方《みかた》の勢《せい》が少《すく》ないので心配《しんぱい》しておいでになるところでしたから、為朝《ためとも》が来《き》たとお聞《き》きになりますと、たいそうおよろこびになって、さっそくおそばに呼《よ》んで、
「いくさの駆《か》け引《ひ》きはどうしたものだろう。」
とおたずねになりました。すると為朝《ためとも》はおそれ気《げ》もなく、はっきりと力《ちから》のこもった口調《くちょう》で、
「わたくしは久《ひさ》しく九州《きゅうしゅう》に居《お》りまして、何《なん》十|度《ど》となくいくさをいたしましたが、こちらから寄《よ》せて敵《てき》を攻《せ》めますにも、敵《てき》を引《ひ》きうけて戦《たたか》いますにも、夜討《よう》ちにまさるものはございません。今夜《こんや》これからすぐ敵《てき》の本営《ほんえい》の高松殿《たかまつどの》におしよせて、三|方《ぼう》から火をつけて焼《や》き立《た》てた上、向《む》かってくる敵《てき》を一|方《ぽう》に引《ひ》き受《う》けてはげしく攻《せ》め立《た》てることにいたしましょう。そうすると、火に追《お》われて逃《に》げてくるものは矢《や》で射《い》とります。矢《や》をおそれて逃《に》げて行《い》くものは火に焼《や》き立《た》てられて命《いのち》を失《うしな》います。いずれにしても敵《てき》は袋《ふくろ》の中のねずみ同様《どうよう》手も足も出《だ》せるものではございません。それにあちらへお味方《みかた》に上《あ》がった武士《ぶし》の中で、いくらか手ごわいのはわたくしの兄《あに》義朝《よしとも》一人《ひとり》でございますが、これとてもわたくしが矢先《やさき》にかけて打《う》ち倒《たお》してしまいます。まして清盛《きよもり》などが人なみにひょろひょろ矢《や》の一つ二つ射《い》かけましたところで、ついこの鎧《よろい》の袖《そで》ではね返《かえ》してしまうまででございます。まあ、わたくしの考《かんが》えでは、夜《よ》の明《あ》けるまでもございません。まだくらいうちに勝負《しょうぶ》はついてしまいましょう。御安心《ごあんしん》下《くだ》さいまし。」
といいました。
為朝《ためとも》がこうりっぱに言《い》いきりますと、新院《しんいん》はじめおそばの人《ひと》たちは、「なるほど。」と思《おも》って、よけい為朝《ためとも》をたのもしく思《おも》いました。するとその中で一人《ひとり》左大臣《さだいじん》の頼長《よりなが》があざ笑《わら》って、
「ばかなことをいえ。夜討《よう》ちなどということは、お前《まえ》などの仲間《なかま》の二十|騎《き》か三十|騎《き》でやるけんか同様《どうよう》の小《こ》ぜりあいならば知《し》らぬこと、恐《おそ》れ多《おお》くも天皇《てんのう》と上皇《じょうこう》のお争《あらそ》いから、源氏《げんじ》と平家《へいけ》が敵味方《てきみかた》に分《わ》かれて力《ちから》くらべをしようという大《おお》いくさだ。そんな卑怯《ひきょう》な駆《か》け引《ひ》きはできぬ。やはり夜《よ》の明《あ》けるのを待《ま》って、堂々《どうどう》と勝負《しょうぶ》を争《あらそ》う外《ほか》はない。」
といって、せっかくの為朝《ためとも》のはかりごとをとり上《あ》げようともしませんでした。
為朝《ためとも》は、おもしろく思《おも》いませんでしたけれど、むりに争《あらそ》ってもむだだと思《おも》いましたから、そのままおじぎをして退《しりぞ》きました。そして心《こころ》の中では、
「何《なに》もしらない公卿《くげ》のくせによけいな差《さ》し出口《でぐち》をするはいいが、今《いま》にあべこべに敵《てき》から夜討《よう》ちをしかけられて、その時《とき》にあわててもどうにもなるまい。こんなふうでは、この戦《いくさ》にはとても勝《か》てる見込《みこ》みはない。まあ、働《はたら》けるだけ働《はたら》いて、あとはいさぎよく討《う》ち死《じ》にをしよう。」
と思《おも》いました。
こう覚悟《かくご》をきめると、それからはもう為朝《ためとも》はぴったり黙《だま》り込《こ》んだまま、しずかに敵《てき》の寄《よ》せてくるのを待《ま》っていました。
すると案《あん》の定《じょう》、その晩《ばん》夜中《よなか》近《ちか》くなって、敵《てき》は義朝《よしとも》と清盛《きよもり》を大将《たいしょう》にして、どんどん夜討《よう》ちをしかけて来《き》ました。
頼長《よりなが》はまさかと思《おも》った夜討《よう》ちがはじまったものですから、今更《いまさら》のようにあわてて、為朝《ためとも》のいうことを聞《き》かなかったことを後悔《こうかい》しました。そして為朝《ためとも》の御機嫌《ごきげん》をとるつもりで、急《きゅう》に新院《しんいん》に願《ねが》って為朝《ためとも》を蔵人《くらんど》という重《おも》い役《やく》にとり立《た》てようといいました。すると為朝《ためとも》はあざ笑《わら》って、
「敵《てき》が攻《せ》めて来《き》たというのに、よけいなことをする手間《てま》で、なぜ早《はや》く敵《てき》を防《ふせ》ぐ用意《ようい》をしないのです。蔵人《くらんど》でもなんでもかまいません。わたしはあくまで鎮西八郎《ちんぜいはちろう》です。」
とこうりっぱにいいきって、すぐ戦場《せんじょう》に向《む》かって行きました。
為朝《ためとも》が例《れい》の二十八|騎《き》をつれて西《にし》の門《もん》を守《まも》っておりますと、そこへ清盛《きよもり》と重盛《しげもり》を大将《たいしょう》にして平家《へいけ》の軍勢《ぐんぜい》がおしよせて来《き》ました。
為朝《ためとも》はそれを見《み》て、
「弱虫《よわむし》の平家《へいけ》め、おどかして追《お》いはらってやれ。」
と思《おも》いまして、敵《てき》がろくろく近《ちか》づいて来《こ》ないうちに、弓《ゆみ》に矢《や》をつがえて敵《てき》の先手《さきて》に向《む》かって射《い》かけますと、この矢《や》が前《まえ》に立《た》って進《すす》んで来《き》た伊藤《いとう》六の胸板《むないた》をみごとに射《い》ぬいて、つきぬけた矢《や》が後《うし》ろにいた伊藤《いとう》五の鎧《よろい》の袖《そで》に立《た》ちました。
伊藤《いとう》五がおどろいて、その矢《や》をぬいて清盛《きよもり》の所《ところ》へもって行って見《み》せますと、並《な》みの二|倍《ばい》もある太《ふと》い箆《の》の先《さき》に大《おお》のみのようなやじりがついていました。清盛《きよもり》はそれを見《み》たばかりでふるえ上《あ》がって、
「なんでもこの門《もん》を破《やぶ》れという仰《おお》せをうけたわけでもないのだから、そんならんぼう者《もの》のいない外《ほか》の門《もん》に向《む》かうことにしよう。」
と勝手《かって》なことをいいながら、どんどん逃《に》げ出《だ》して行きました。
するとこんどはにいさんの義朝《よしとも》が平家《へいけ》の代《か》わりに向《む》かって来《き》ました。にいさんはにいさんだけの威光《いこう》で、いきなりしかりつけて為朝《ためとも》を恐《おそ》れ入《い》らしてやろうと思《おも》ったと見《み》えて、義朝《よしとも》は為朝《ためとも》の顔《かお》の見《み》えるところまで来《き》ますと、大きな声《こえ》で、
「そこにいるのは八郎《はちろう》だな。にいさんに向《む》かって弓《ゆみ》をひくやつがあるか。はやく弓矢《ゆみや》を投《な》げ出《だ》して降参《こうさん》しないか。」
といいました。
すると為朝《ためとも》は笑《わら》って、
「にいさんに弓《ゆみ》をひくのがわるければ、おとうさんに向《む》かって弓《ゆみ》をひくあなたはもっとわるいでしょう。」
とやり込《こ》めました。
これで義朝《よしとも》もへいこうして、だまってしまいました。そしてくやしまぎれに、はげしく味方《みかた》にさしずをして、めちゃめちゃに矢《や》を射《い》かけさせました。
為朝《ためとも》はこの様子《ようす》をこちらから見《み》て、大将《たいしょう》の義朝《よしとも》をさえ射落《いお》とせば、一|度《ど》に勝負《しょうぶ》がついてしまうのだと考《かんが》えました。そこで弓《ゆみ》に矢《や》をつがえて、義朝《よしとも》の方《ほう》にねらいをつけました。
「あの仰《あお》むけている首筋《くびすじ》を射《い》てやろうか。だいぶ厚《あつ》い鎧《よろい》を着《き》ているが、あの上から胸板《むないた》を射《い》とおすぐらいさしてむずかしくもなさそうだ。」
こう為朝《ためとも》は思《おも》いながら、すぐ矢《や》を放《はな》そうとしましたが、ふと、
「いや待《ま》て。いくら敵《てき》でもにいさんはにいさんだ。それにこうして父子《おやこ》わかれわかれになっていても、おとうさんとにいさんの間《あいだ》に内《ない》しょの約束《やくそく》があって、どちらが負《ま》けてもお互《たが》いに助《たす》け合《あ》うことになっているのかもしれない。」
と思《おも》い返《かえ》して、わざとねらいをはずして、義朝《よしとも》の兜《かぶと》に射《い》あてました。すると矢《や》は兜《かぶと》の星《ほし》を射《い》けずって、その後《うし》
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