、それをよんでよくわかったといっていましたが、それはたれもばかものだとおもわれた上、横ッ腹をふまれるのがいやだからでした。

 そうこうしているうちに、まる一年たちました。皇帝も、宮中のお役人たちも、みんなほかのシナ人たちも、そのさいくどりの歌の、クルック、クルック、という、こまかいふしまわしのところまでのこらずおぼえこんでしまいました。ところでそのためよけい、この鳥がみんなをよろこばせたというわけは、たれもいっしょになって、その歌をうたうことができたからで、またほんとうに、そのとおりやっていました。往来をあるいているこどもたちまでが、
「チチチ、クルック、クルック、クルック」と、うたうと、皇帝もそれについておうたいになりました。――いや、もうまったくうれしいことでした。
 ところがあるばん、さいくどりに、せいいっぱいうまくうたわせて、皇帝はね床の中でそれをきいておいでになるうち、いきなり、鳥のおなかの中で、ぶすっという音がして、なにかはぜたようでした。つづいて、がらがらがらと、のこらずのはぐるまが、からまわりにまわって、やがて、ぶつんと音楽はとまってしまいました。
 皇帝はすぐとね床をとびおきて、侍医《じい》をおめしになりました。でも、それがなんの役にたつでしょう。そこで時計屋《とけいや》をよびにやりました。で、時計屋がきて、あれかこれかと、わけをきいたり、しらべたりしたあげく、どうにか、さいくどりのこしょうだけは、なおりました。でも、時計屋は、なにしろ、かんじんな軸《じく》うけが、すっかりすりへっているのに、それをあたらしくとりかえて、音楽をもとどおりはっきりきかせるくふうがつかないから、せいぜい、たいせつにあつかっていただく[#「いただく」は底本では「いたただく」]ほかはないと、いいました。これはまことにかなしいことでした。もう一年にたったいちどだけ、うたわせることになったのですが、それさえ、おおすぎるというのです。でもそのとき、楽師長は、れいの小むずかしいことばばかりならべた、みじかいえんぜつをして、なにも、これまでとかわったところはないと、いいましたが、なるほど、歌は、これまでとかわったところは、ありませんでした。
 さて、それから五年たちましたが、こんどこそはほんとうに、国じゅうの大きなかなしみがやってきました。じんみんたちが、こころからしたっていた皇帝
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