民《じんみん》が王《おう》をうらんで、ある時《とき》一揆《いっき》を起《お》こして王《おう》を攻《せ》め殺《ころ》しました。そしてわたしを見《み》つけて、生《い》け捕《ど》りにしようとさわぎました。わたしはとうに逃《に》げ出《だ》して、山の中にかくれました。そうして何《なん》百|年《ねん》かたちました。
二
そのうちわたしはまたシナの国《くに》に渡《わた》って、殷《いん》の紂王《ちゅうおう》というもののお妃《きさき》になりました。あの紂王《ちゅうおう》にすすめて、百姓《ひゃくしょう》から重《おも》いみつぎものを取《と》り立《た》てさせ、非道《ひどう》の奢《おご》りにふけったり、罪《つみ》もない民《たみ》をつかまえて、むごたらしいしおきを行《おこな》ったりした妲妃《だっき》というのは、わたしのことでした。紂王《ちゅうおう》がほろぼされると、わたしはまた山の中にかくれて、何《なん》百|年《ねん》か暮《く》らしました。
おしまいに日本《にっぽん》の国《くに》に来《き》て、院《いん》さまのお召《め》し使《つか》いの女になって、玉藻前《たまものまえ》と名《な》のりました。わたしをおそばへお近《ちか》づけになってから、院《いん》さまは始終《しじゅう》重《おも》いお病《やまい》におなやみになるようになりました。院《いん》さまのお命《いのち》をとって、日本《にっぽん》の国《くに》をほろぼそうとしたわたしのたくらみは、だんだん成就《じょうじゅ》しかけました。それを見破《みやぶ》ったのは陰陽師《おんみょうじ》の安倍《あべ》の泰成《やすなり》でした。わたしはとうとう泰成《やすなり》のために祈《いの》り伏《ふ》せられて、正体《しょうたい》を現《あらわ》してしまいました。そしてこの那須野《なすの》の原《はら》に逃《に》げ込《こ》んだのです。けれども日本《にっぽん》は弓矢《ゆみや》の国《くに》でした。天竺《てんじく》でも、シナでも、一|度《ど》山か野《の》にかくれればもうだれも追《お》いかけて来《く》る者《もの》はなかったのですが、こんどはそういきませんでした。間《ま》もなく院《いん》さまは三浦《みうら》の介《すけ》と千葉《ちば》の介《すけ》と二人《ふたり》の武士《ぶし》においいつけになって、何《なん》百|騎《き》の侍《さむらい》で那須野《なすの》の原《はら》を狩《か》り立《
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