殺生石
楠山正雄
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)後深草天皇《ごふかくさてんのう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)十|里《り》
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一
むかし後深草天皇《ごふかくさてんのう》の御代《みよ》に、玄翁和尚《げんのうおしょう》という徳《とく》の高《たか》い坊《ぼう》さんがありました。日本《にっぽん》の国中《くにじゅう》方々《ほうぼう》めぐり歩《ある》いて、ある時《とき》奥州《おうしゅう》から都《みやこ》へ帰《かえ》ろうとする途中《とちゅう》、白河《しらかわ》の関《せき》を越《こ》えて、下野《しもつけ》の那須野《なすの》の原《はら》にかかりました。
那須野《なすの》の原《はら》というのは十|里《り》四|方《ほう》もある広《ひろ》い広《ひろ》い原《はら》で、むかしはその間《あいだ》に一|軒《けん》の家《いえ》も無《な》く、遠《とお》くの方《ほう》に山がうっすり見《み》えるばかりで、見渡《みわた》す限《かぎ》り草《くさ》がぼうぼうと生《お》い茂《しげ》って、きつねやしかがその中で寂《さび》しく鳴《な》いているだけでした。玄翁《げんのう》はこの原《はら》を通《とお》りかかると、折《おり》ふし秋《あき》の末《すえ》のことで、もう枯《か》れかけたすすき尾花《おばな》が白《しろ》い綿《わた》をちらしたように一|面《めん》にのびて、その間《あいだ》に咲《さ》き残《のこ》った野菊《のぎく》やおみなえしが寂《さび》しそうにのぞいていました。
玄翁和尚《げんのうおしょう》は一|日《にち》野原《のはら》を歩《ある》きどおしに歩《ある》いてまだ半分《はんぶん》も行かないうちに、短《みじか》い秋《あき》の日はもう暮《く》れかけて、見《み》る見《み》るそこらが暗《くら》くなってきました。この先《さき》いくら行っても泊《とま》る家《いえ》を見《み》つけるあてはないのですから、今夜《こんや》は野宿《のじゅく》をするかくごをきめて、それにしても、せめて腰《こし》をかけて休《やす》めるだけの木の陰《かげ》でもないかと思《おも》って、夕《ゆう》やみの中でしきりに見《み》ましたが、一|本《ぽん》のひょろひょろ松《まつ》さえ立《た》ってはいませんでした。それでもと思《おも》ってまた少《すこ》し行ってみると、草原《くさはら》の真《ま》ん中《な
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