っていました。
そのうちに比叡山《ひえいざん》の西塔《さいとう》の武蔵坊《むさしぼう》というお寺《てら》の坊《ぼう》さんが亡《な》くなりますと、弁慶《べんけい》は勝手《かって》にそこに入《はい》りこんで、西塔《さいとう》の武蔵坊弁慶《むさしぼうべんけい》と名《な》のりました。
ある時《とき》弁慶《べんけい》はおもいました。
「宝《たから》はなんでも千という数《かず》をそろえて持《も》つものだそうた。奥州《おうしゅう》の秀衡《ひでひら》はいい馬《うま》を千|疋《びき》と、鎧《よろい》を千りょうそろえて持《も》っている。九州《きゅうしゅう》の松浦《まつうら》の太夫《たゆう》は弓《ゆみ》を千ちょうとうつぼを千|本《ぼん》そろえてもっている。おれも刀《かたな》を千|本《ぼん》そろえよう。都《みやこ》へ出て集《あつ》めたら、千|本《ぼん》くらいわけなくできる。」
こう考《かんが》えて、弁慶《べんけい》は黒糸《くろいと》おどしの鎧《よろい》の上に墨《すみ》ぞめの衣《ころも》を着《き》て、白《しろ》い頭巾《ずきん》をかぶり、なぎなたを杖《つえ》について、毎晩《まいばん》五条《ごじょう》の橋《は
前へ
次へ
全15ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング