ました。今若《いまわか》はそのあとからついて行きました。
さんざん難儀《なんぎ》をして、清盛《きよもり》のいる京都《きょうと》の六波羅《ろくはら》のやしきに着《つ》くと、常磐《ときわ》は、
「おたずねになっている常磐《ときわ》でございます。三|人《にん》の子供《こども》をつれて出ました。わたくしは殺《ころ》されてもようございますから、母《はは》の命《いのち》をお助《たす》け下《くだ》さいまし。子供《こども》たちもこの通《とお》り小《ちい》さなものばかりでございますから、命《いのち》だけはどうぞお助《たす》け下《くだ》さいまし。」
と申《もう》しました。
親子《おやこ》のいたいたしい様子《ようす》を見《み》ると、さすがの清盛《きよもり》も気《き》の毒《どく》に思《おも》って、その願《ねが》いを聞《き》きとどけてやりました。
それで今若《いまわか》と乙若《おとわか》とは命《いのち》だけは助《たす》かって、お寺《てら》へやられました。牛若《うしわか》はまだお乳《ちち》を飲《の》んでいるので、おかあさんのそばにいることを許《ゆる》されましたが、これも七つになると鞍馬山《くらまやま》のお
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