の要《い》るのは言うまでもないことであった。だれだって、太陽と天気を自由にすることはできない。天気は人間にかまわずよすぎたり、悪すぎたりするのであった。アッケンのお父さんは、そういううでにかけては、確《たし》かなものであったから、花が当日におくれたり早すぎたりするなどという失敗《しっぱい》はなかったが、それだけにめんどうな手数のかかることはしかたがなかった。
この話の当時には、花の出来はまったくすばらしいものであった。それはちょうど八月五日のことであったが、花はいまが見ごろであった。花畑の中の野天の下で、えぞぎく[#「えぞぎく」に傍点]の花びらはいまにも口を開こうとしてふくれていた。
温室の温度と日光を弱めるために、わざわざ石灰乳《せっかいにゅう》をガラスのフレームにぬった温床《おんしょう》の下で、フクシアやきょうちくとう[#「きょうちくとう」に傍点]がさきかけていた。うじゃうじゃと固《かた》まって草むらになっているものもあれば、頭から根元《ねもと》まで三角形につぼみのすずなりになったものもあった。どうして目の覚《さ》めるように美しかった。ときどきお父さんはいかにも満足《まんぞく》
前へ
次へ
全326ページ中60ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング