ながつづ》きしそうもない」
 でもなぜ不幸《ふこう》が来なければならないか、それをまえから予想《よそう》することはできなかった。だがどのみち、それのやって来ることは疑《うたが》うことのできない事実のように思われてきた。
 そう思うと、わたしはたいへん心細かった。しかし、一方から見ると、その不幸《ふこう》をどうにかしてさけるようにいっしょうけんめいになるので、しぜんにいいこともあった。なぜというに、わたしがこんなにたびたび不幸な目に会うのは、みんな自分の過失《かしつ》から来ると思って、反省《はんせい》するようになったからである。
 でもほんとうは、わたしの過失ではなかった。それをそう思ったのは、自分の思い過《す》ごしであったが、不幸《ふこう》が来るという考えはちっともまちがいではなかった。
 わたしはまえに、お父さんがにおいあらせいとう[#「においあらせいとう」に傍点]の栽培《さいばい》をやっていたと言ったが、この花を作るのはわりあいに容易《ようい》で、パリ近在《きんざい》の植木屋はこれで商売をする者が多かった。その草は短くって大きく、上から下までぎっしり花がついていて、四、五月ごろにな
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