ると、これがさかんにパリの市場に持ち出されるのであった。ただこの花でむずかしいのは、芽生《めば》えのうちから葉の形で八重《やえ》と一重《ひとえ》を見分けて、一重を捨《す》てて八重を残《のこ》すことであった。この鑑別《かんべつ》のできる植木屋さんはごくわずかで、その人たちが家の秘法《ひほう》にして他へもらさないことにしてあるので、植木屋|仲間《なかま》でも、特別《とくべつ》にそういう人をたのんで花を見分けてもらわなければならなかった。それでたのまれた人はほうぼうの花畑を巡回《じゅんかい》して歩いて、いろいろと注意をあたえるのであった。これをレセンプラージュと言っていた。お父さんはパリではこの道にかけて熟練《じゅくれん》のほまれの高い一人であった。それでその季節《きせつ》にはほうぼうからたのまれて、うちにいることが少なかった。そしてこの季節が、わたしたちとりわけエチエネットにとって、いちばん悪いときであった。なぜというと、お父さんは一けん一けん回って歩くうちに、ほうぼうでお酒を飲ませられて、夜おそく帰るじぶんには、まっかな顔をして、舌《した》も回らないし、手足もぶるぶるふるえていた。
そ
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