きなかった、これをひじょうに残念《ざんねん》がっていた。たびたびわたしはかの女の目になみだが流れているのを見た。それがかの女の心の苦しみを語っていた。でも優《やさ》しい快活《かいかつ》な性質《せいしつ》からその苦しみはすぐに消えた。かの女は目をふいて、しいて微笑《びしょう》をふくみながら、こう言うのであった。
「いまにね」
 アッケンのお父さんには、養子《ようし》のようにされ、子どもたちには兄弟のようにあつかわれながら、わたしは、またしてもわたしの生活を引っくり返すような事件《じけん》はもう起こらずに、いつまでもグラシエールにいられそうには思えなかった。それはわたしというものが、長く幸福にくらしてゆくことができないたちで、やっと落ち着いたと思うときには、それはきっとまた幸福からほうり出されるときであって、自分の望《のぞ》んでもいない出来事のためにまたもや変《か》わった生活にとびこまなければならなくなるのであった。


     一家の離散《りさん》

 このごろわたしは一人でいるとき、よく考えては独《ひと》り言《ごと》を言った。
「おまえはこのごろあんまりよすぎるよ。これはどうも長続《
前へ 次へ
全326ページ中53ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング