に連れて行ったので、わたしもすこしずつパリがわかりかけてきた。そうしてそこはわたしが想像《そうぞう》したように大理石や黄金の町ではなかったが、あのとき初《はじ》めてシャラントンやムフタール区《く》からはいって来たとき見て早飲みこみに思ったようなどろまみれの町でもないことがわかった。わたしは記念碑《きねんひ》を見た。その中へもはいってみた。波止場通り、大通りをも、リュクサンプールの公園をも、チュイルリの公園をも、シャンゼリゼーをも、歩いてみた。銅像《どうぞう》も見た。群衆《ぐんしゅう》の人波にもまれて、感心して立ち止まったこともあった。これで大都会というものがどんなふうにできあがっているかという考えがほぼできてきた。
 幸いにわたしの教育はただ目で見る物から受けただけではなかった。パリの町中《まちなか》を散歩《さんぽ》したりかけ歩いたりするついでに、ぐうぜん覚《おぼ》えるだけではなかった。このお父さんはいよいよ自前《じまえ》で植木屋を開業するまえに植物園の畑で働《はたら》いていた。そこには学者たちがいて、かれにしぜん、物を読んで覚《おぼ》えたいという好奇心《こうきしん》を起こさせた。それ
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