うらい》には人ひとりいなかった。わたしたちのぐるりには死の沈黙《ちんもく》があった。
 この沈黙《ちんもく》がわたしをおびえさせた。なにをわたしはこわがっているのだ。わたしはわからなかったが、とりとめもない恐怖《きょうふ》がのしかかってきた。わたしはここで死にかけているように思った。そう思うとたいへん悲しくなった。
 わたしはシャヴァノンを思い出した。かわいそうなバルブレンのおっかあを思い出した。わたしはかの女をもう一度見ることなしに、わたしたちの小さな家や、わたしの小さな花畑を見ることなしに死ななければならないのだ……。
 するうちわたしはもう寒くはなくなった。わたしはいつか自分の小さな花畑に帰って来たように思った。太陽はかがやいていて、それはずいぶん暖《あたた》かかった。きくいも[#「きくいも」に傍点]が金の花びらを開いていた。小鳥がこずえの中やかきねの上で鳴いていた。そうだ、そうしてバルブレンのおっかあがさざ波を立てている小川へ出て、いま洗《あら》ったばかりの布《ぬの》を外へ干《ほ》している。
 わたしはシャヴァノンをはなれて、アーサとミリガン夫人《ふじん》といっしょに白鳥号に乗
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