もかくれてしまうのだ。
 ふと村からわたしのうちのほうへ通う往来の上に、白いボンネットが見えて、木の間にちらちら見えたりかくれたりしていた。
 それはずいぶん遠方であったから、ぽっちり白く、春のちょうちょうのように見えただけであった。
 けれど目よりも心はするどくものを見るものだ。わたしは、それがバルブレンのおっかあであることを知った。確《たし》かにおっかあだ、とわたしは思いこんでいた。
「さて出かけようか」と老人《ろうじん》が言った。
「ああ、いいえ、後生《ごしょう》ですからも少し」
「じゃあ話とはちがって、おまえは、から(ぜんぜん)、足がだめだな。もうつかれてしまったのか」
 わたしは答えなかった。ただながめていた。
 やはりそれはバルブレンのおっかあであった。それはおっかあのボンネットであった。水色の前だれであった。足早に、気がせいているように、うちに向かって行くのであった。
 白いボンネットはまもなくうちの前に着いた。戸をおし開けて、急いで庭にはいって行った。
 わたしはすぐにとび上がって、土手の上に立ち上がった。そばにいたカピがおどろいてとびついて来た。
 おっかあはいつまでもうちの中にはいなかった。まもなく出て来て、両うでを広げながら、あちこちと庭の中をかけ回っていた。
 かの女はわたしを探《さが》しているのだ。
 わたしは首を前に延《の》ばして、ありったけの声でさけんだ。
「おっかあ、おっかあ」
 けれどもそのさけび声は空に消えてしまった、小川の水音に消されてしまった。
「どうしたのだ。おまえ、気がちがったのか」とヴィタリスは言った。
 わたしは答えなかった。わたしの目はまたバルブレンのおっかあをじっと見ていた。けれども向こうではわたしが上にいるとは知らないから、あお向いては見なかった。そうして庭をぐるぐる回って、往来《おうらい》へ出て、きょろきょろしていた。
 もっと大きな声でわたしはさけんだ。けれども、初《はじ》めの声と同様にむだであった。
 そのうち老人《ろうじん》もやっとわかったとみえて、やはり土手に登って来た。かれもまもなく白いボンネットを見つけた。
「かわいそうに、この子は」とかれはそっと独《ひと》り言《ごと》を言った。
「おお、わたしを帰してください」と、わたしはいまの優《やさ》しいことばに乗《の》って、泣《な》き声《ごえ》を出した。
 けれどもかれはわたしの手首をおさえて、土手を下りて往来《おうらい》へ出た。
「さあ、だいぶ休んだから、もう出かけるのだ」と、かれは言った。
 わたしはぬけ出そうともがいたけれども、かれはしっかりわたしをおさえていた。
「さあカピ、ゼルビノ」と、かれは犬のほうを見ながら言った。
 二ひきの犬がぴったりわたしにくっついた。カピは後ろに、ゼルビノは前に。
 二足《ふたあし》三足《みあし》行くと、わたしはふり向いた。
 わたしたちはもう坂の曲がり角を通りこした。もう谷も見えなければ家も見えなくなった。ただ遠いかなたに遠山《とおやま》がうすく青くかすんでいた。果《は》てしもない空の中にわたしの目はあてどなく迷《まよ》うのであった。


     とちゅう

 四十フラン出して子どもを買ったからといって、その人は鬼《おに》でもなければ、その子どもの肉を食べようとするのでもなかった。ヴィタリス老人《ろうじん》はわたしを食べようという欲《よく》もなかったし、子どもを買ったが、その人は悪人ではなかった。
 わたしはまもなくそれがわかった。
 ちょうどロアール川とドルドーニュ川と、二つの谷を分かった山の頂上《ちょうじょう》で、かれはふたたびわたしの手首をにぎった。その山を南へ下り始めて十五分も行ったころ、かれは手をはなした。
「まああとからぽつぽつおいで。にげることはむだだよ。カピとゼルビノがついているからな」
 わたしたちはしばらくだまって歩いていた。
 わたしはふとため息を一つした。
「わしにはおまえの心持ちはわかっているよ」と老人《ろうじん》は言った、「泣《な》きたいだけお泣き。だがまあ、これがおまえのためにはいいことだということを考えるようにしてごらん。あの人たちはおまえのふた親ではないのだ、おっかあはおまえに優《やさ》しくはしてくれたろう。それでおまえも好《す》いていたから、それでそんなに悲しく思うのだろう。けれどもあの人は、ご亭主《ていしゅ》がおまえをうちに置《お》きたくないと言えば、それを止めることはできなかったのだ。それにあの男だって、なにもそんなに悪い男というのでもないかもしれない。あの男はからだを悪くして、もうほかの仕事ができなくなっている。かたわのからだでは食べてゆくだけに骨《ほね》が折《お》れるのだ。そのうえおまえを養《やしな》っていては、自分たちが飢《う》えて死ななければならないと思っているのだ。そこでおまえにひとつ心得《こころえ》てもらいたいことがある。世の中は戦争《せんそう》のようなもので、だれでも自分の思うようにはゆかないものだということだ」
 そうだ、老人《ろうじん》の言ったことはほんとうであった。貴《とうと》い経験《けいけん》から出た訓言《くんげん》(教訓)であった。でもその訓言よりももっと力強い一つの考えしか、わたしはそのとき持っていなかった。それは『別《わか》れのつらさ』ということであった。
 わたしはもう二度とこの世の中で、いちばん好《す》きだった人に会うことができないのだ。こう思うとわたしは息苦しいように感じた。
「まあ、わたしの言ったことばをよく考えてごらん。おまえはわたしといれば不幸《ふしあわ》せなことはないよ」と老人《ろうじん》は言った。「孤児院《こいじん》などへやられるよりはいくらましだかしれない。それで言っておくが、おまえはにげ出そうとしてもだめだよ。そんなことをすれば、あのとおりの広野原《ひろのはら》だ。カピとゼルビノがすぐとおまえをつかまえるから」
 こう言ってかれは目の前のあれた高原《こうげん》を指さした。そこにはやせこけたえにしだ[#「えにしだ」に傍点]が、風のまにまに波のようにうねっていた。
 にげ出す――わたしはもうそんなことをしようとは思わなかった。にげていったいどこへわたしは行こう。
 この背《せい》の高い老人《ろうじん》は、ともかく親切《しんせつ》な主人であるらしい。
 わたしは一息にこんなに歩いたことはなかった。ぐるりに見るものはあれた土地と小山ばかりで、村を出たらば向こうはどんなに美しかろうと思ったほど、この世界は美しくはなかった。

 老人《ろうじん》はジョリクールを肩《かた》の上に乗せたり、背嚢《はいのう》の中に入れたりして、しじゅう規則《きそく》正しく、大またに歩いていた。三びきの犬はあとからくっついて来た。
 ときどき老人はかれらに優《やさ》しいことばをかけていた。フランス語で言うこともあったし、なんだかわからないことばで言うこともあった。
 かれも犬たちもくたびれた様子がなかった。だがわたしはつかれた。足を引きずって、この新しい主人にくっついて歩くのが精《せい》いっぱいであった。けれども休ませてくれとは言いだし得《え》なかった。
「おまえがくたびれるのは木のくつのせいだよ」とかれは言った。「いずれユッセルへ着いたらくつを買ってやろう」
 このことばはわたしに元気をつけてくれた。わたしはしじゅうくつが欲しいと思っていた。村長のむすこも、はたごやのむすこもくつを持っていた。それだから日曜というとかれらはお寺へ来て石のろうかをすべるように走った。それをわれわれほかのいなかの子どもは、木ぐつでがたがた、耳の遠くなるような音をさせたものだ。
「ユッセルまではまだ遠いんですか」
「ははあ、本音《ほんね》をふいたな」とヴィタリスが笑《わら》いながら言った。「それではくつが欲《ほ》しいんだな。よしよし、わたしはやくそくをしよう。それも大きなくぎを底《そこ》に打ったやつをなあ。それからビロードの半ズボンとチョッキとぼうしも買ってやる。それでなみだが引っこむことになるだろう。なあ、そうしてもらおうじゃないか。そしてあと六マイル(約四十キロ)歩いてくれるだろうなあ」
 底《そこ》にくぎを打ったくつ、わたしは得意《とくい》でたまらなかった。くつをはくことさええらいことなのに、おまけにくぎを打ってある。わたしは悲しいことも忘《わす》れてしまった。
 くぎを打ったくつ、ビロードの半ズボンに、チョッキに、ぼうし。
 まあバルブレンのおっかあがわたしを見たらどんなにうれしがるだろう。どんなに得意《とくい》になるだろう。
 けれども、なるほどくつとビロードがこれから六マイル歩けばもらえるというやくそくはいいが、わたしの足はそんな遠方まで行けそうにもなかった。
 わたしたちが出かけたときに青あおと晴れていた空が、いつのまにか黒い雲にかくれて、細かい雨がやがてぽつぽつ落ちて来た。
 ヴィタリスはそっくりひつじの毛皮服にくるまっているので、雨もしのげたし、さるのジョリクールも、一しずく雨がかかるとさっそくかくれ家《が》ににげこんだ。けれども犬とわたしはなんにもかぶるものがないので、まもなく骨《ほね》まで通るほどぬれた。でも犬はぬれてもときどきしずくをふり落とすくふうもあったが、わたしはそんなことはできなかった。下着までじくじくにぬれ通って、骨まで冷《ひ》えきっていた。
「おまえ、じきかぜをひくか」と主人は聞いた。
「知りません。かぜをひいた覚《おぼ》えがないから」
「それはたのもしいな。だがこのうえぬれて歩いてもしようがないことだから、少しでも早くこの先の村へ行って休むとしよう」
 ところがこの村には一けんも宿屋《やどや》というものはなかった。当たり前の家ではじいさんのこじきの、しかも子どもに三びきの犬まで引き連《つ》れて、ぬれねずみになった同勢《どうぜい》をとめようという者はなかった。
「うちは宿屋《やどや》じゃないよ」
 こう言ってどこでも戸を立てきった。わたしたちは一けん一けん聞いて歩いて、一けん一けん断《ことわ》られた。
 これから四マイル(約六キロ)ユッセルまで一休みもしないで行かなければならないのか。暗さは暗し、雨はいよいよ冷《つめ》たく骨身《ほねみ》に通った。ああ、バルブレンのおっかあのうちがこいしい。
 やっとのことで一けんの百姓家《ひゃくしょうや》がいくらか親切があって、わたしたちを納屋《なや》にとめることを承知《しょうち》してくれた。でもねるだけはねても、明かりをつけることはならないという言いわたしであった。
「おまえさん、マッチを出しなさい。あしたたつとき返してあげるから」とその百姓家《ひゃくしょうや》の主人はヴィタリス老人《ろうじん》に言った。
 それでもとにかく、風雨を防《ふせ》ぐ屋根だけはできたのであった。
 老人《ろうじん》は食料《しょくりょう》なしに旅をするような不注意《ふちゅうい》な人ではなかった。かれは背中《せなか》にしょっていた背嚢《はいのう》から一かたまりのパンを出して、四きれにちぎった。
 さてこのときわたしははじめて、かれがどういうふうにして、仲間《なかま》の規律《きりつ》を立てているかということを知った。さっきわれわれが一けん一けん宿《やど》を探《さが》して歩いたとき、ゼルビノがある家にはいったが、さっそくかけ出して来たとき、パンの切れを口にくわえていた。そのとき老人《ろうじん》はただ、
「よしよし、ゼルビノ……今夜は覚《おぼ》えていろ」とだけ言った。
 わたしはもうゼルビノのどろぼうをしたことは忘《わす》れて、ヴィタリスがパンを切る手先をぼんやり見ていた。ゼルビノはしかしひどくしょげていた。
 ヴィタリスとわたしはとなり合ってジョリクールをまん中に置《お》いて、二つあるわらのたばの上、かれ草のたばの上にこしをかけて、三びきの犬はその前にならんでいた。カピとドルスは主人の顔をじっと見つめているのに、ゼルビノは耳を立ててしっぽを足の間に入れて立っていた。
 老人《ろうじん》は命令
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