けの弟子《でし》は集まるのだ。そこでそのあいだにゼルビノとドルスの代わりになる犬を二ひきしこもうと思う。それから春になってルミ、またいっしょに出かけようよ。まあ当分は勇気《ゆうき》と忍耐《にんたい》が必要《ひつよう》だ。わたしたちはこれまでちょうどつごうの悪い、間《あい》の時節《じせつ》ばかり通って来た。春になればだんだん境遇《きょうぐう》も楽になる。そこでわたしはおまえを連《つ》れて、ドイツとイギリスを回るつもりだ。そのうちおまえも大きくなるし、考えも進んでくる。わたしはおまえにたくさんのことを教えて、りっぱな人間にしてやる。わたしはそれをミリガン夫人《ふじん》とやくそくした。おまえにイギリス語を教えだしたのもそのわけだ。おまえはフランス語とイタリア語を話すことができる。これはおまえの年ごろの子どもとしてはえらいことだ。おまえはからだもじょうぶだし、どうしてこの先、運の開ける望《のぞ》みはじゅうぶんある」
たぶん親方がこう言ってわたしのために計画してくれたことは、みんないちばんいいことにちがいなかった。けれどそのときにはわたしはただ二つのことだけしか考えられなかった。
わたしたちは別《わか》れなければならない。そしてわたしはよその親方の所へ行かなければならない。
流浪《るろう》のあいだにわたしはいくたりかの親方に会ったが、いつもほうぼうからやとい入れて使っている子どもたちをひどく打ったりたたいたりする者が多かった。かれらはひじょうに残酷《ざんこく》であった。ひどく口ぎたなかったり、いつも酔《よ》っぱらっていた。わたしはそういうおそろしい人間の一人に使われなければならないのであろうか。
それでもし運よく親切な親方に当たるとしても、これはまた一つの変化《へんか》であった。初《はじ》めが養母《ようぼ》、それから親方、それからまた一人――それはいつでもこうなのであろうか。わたしはいつまでもその人を愛《あい》して、その人といっしょにいることのできる相手《あいて》を見つけることができないのであろうか。
だんだんわたしは親方に引きつけられるようになっていた。かれはほとんど父親というものはこんなものかとわたしに思わせた。
でもわたしはほんとうの父親を持つことがないのだ。うちを持つことがないのだ。この広い世界に、いつも独《ひと》りぼっちなのだ。だれの子でもないのだ。
わたしにも言うことはあった。だが親方は「勇気《ゆうき》を持て」とわたしに求《もと》めた。わたしはこのうえかれに苦労《くろう》を加《くわ》えることを望《のぞ》まなかった。けれどつらいことであった。かれと別《わか》れるのはまったくつらいことであった。
かれも重ねてわたしに泣《な》きつかれるのがうるさいと思ったように、かまわずどんどん歩きだした。わたしは引きずられるようにして後に続《つづ》いた。
わたしはその後について行くと、まもなく橋をわたって川をこした。その橋はこのうえなくきたなくって、どろが深く積《つ》もっていた。その上を黒い石炭くずのような雪がかぶさって、そこにふみこむとくるぶしまでずぶりとはいった。
橋のたもとからは、村|続《つづ》きでせまい宿場《しゅくば》があった。村がつきると、また野原になって、野原にはこぎたない家が散《ち》らばっていた。往来《おうらい》には荷車がしじゅう行ったり来たりしていた。わたしは、親方の右手に寄《よ》りそって歩いた。カピは後からついて来た。
いよいよ野原がおしまいになって、わたしたちは果《は》てしのない長い町の中にはいった。両側《りょうがわ》には見わたすかぎり家が建《た》てこんでいた。それもボルドーや、ツールーズや、リヨンなどに比《くら》べては、ずっとびんぼうらしいあわれな小家《こいえ》ばかりであった。
雪がほうぼうにうず高く積《つ》み上げられていて、黒く固《かた》まったかたまりの上に、灰《はい》やくさった野菜《やさい》や、いろいろのきたない廃物《はいぶつ》が投げ捨《す》てられてあった。空気はいやなにおいにむせるようであった。その中を荷車がごろごろ通って行くが、人びとはそれをうまくかわしかわし歩いていた。
「ここはどこです」とわたしは言った。
「パリだよ」
どこに大理石のうちがあるか。それから黄金の木が。そしてりっぱに着かざった人たちが。これが見たい見たいとあこがれていたパリであったか。わたしはこんな場所で、親方に別《わか》れて……カピに別れて、この冬じゅうくらさなければならなかったのか。
ルールシーヌ街《まち》の親方
いま、わたしのぐるりを取《と》り巻《ま》いているものは、気味の悪いものばかりであったが、わたしはいっしょうけんめい好奇《こうき》のの目を見張《みは》って新しい周囲《しゅうい》を見回した。そのためにいまの身の上にさしせまっただいじのことは忘《わす》れるくらいであった。
パリの町の中に深くはいればはいるほど、見るものごとにわたしの幼《おさな》い夢想《むそう》とだんだんへだたるようになった。こおりついたみぞからは、なんともいえないくさいいきれが立っていた。雪と氷がいっしょにとけて固《かた》まったいうす黒いどろが、荷車の輪《わ》にはねとばされて、そこらの小店のガラス戸に厚板《あついた》のようにへばりついていた。確《たし》かにパリはボルドーにもおよばなかった。
これまで通って来た町に比《くら》べては、だいぶんりっぱな広い町で、いくらかきれいな店もならんだ通りを長いこと歩いて、親方はついと右へ曲がると、急にみすぼらしい町に出た。高い黒い家のならんだまん中に、例《れい》のいやなにおいのするどぶがあった。たくさんある居酒屋《いざかや》の店先で、おおぜいの男女ががやがや言いながら、お酒を飲んでいた。
町の角には、ルールシーヌ街《まち》と書いた札《ふだ》が打ってあった。
親方は案内《あんない》を知っているらしくせまい通りにこみ合う往来《おうらい》の人の群《む》れを分けて進んだ。わたしはそのそばに寄《よ》りそって歩いた。
「おい、気をつけて、わたしの姿《すたが》を見失《みうしな》わないように」と親方が注意した。けれどかれの注意は必要《ひつよう》がなかった。なぜといって、わたしはかれの後にくっついて歩いたうえ、おまけにかれの上着のすそをしっかりとおさえていたのであった。
わたしたちは大きな路地をつっ切って、もう一日じゅう日の光がけっしてもれたことのないような、きたならしい、じめじめした一けんの家にはいった。それはこれまでわたしの見たかぎりのいちばんひどい家であった。
「ガロフォリさんはいるかね」と親方が、ランプの光で、ぼろ[#「ぼろ」に傍点]をドアにぶら下げていた男にたずねた。
「知らねえや。上がって見て来い」とその男はうなった。「はしごだんのいちはんてっぺんだ。それおまえの鼻っ先に見えてるじゃないか」
「ガロフォリというのは、ルミ、おまえに話した親方だよ。ここが住まいだ」階段《かいだん》を上がりながら親方はこう言った。その階段《かいだん》は厚《あつ》いどろがこちこちに積《つ》もって、ややもするとすべって足を取られそうになった。街《まち》といい、家といい、はしご段《だん》といい、いよいよわたしを安心させる性質《せいしつ》のものではなかった。いったい今度の親方というのはどんな男であろう。
四階のてっぺんに上がって、ドアをたたくことなしに親方はすぐ前のドアをおし開けて、穀物倉《こくもつぐら》のような大きな屋根裏《やねうら》の部屋《へや》にはいった。部屋のまん中はがらんとしていて、四方のかべにぐるりと寝台《ねだい》みんなで十二ならべてあった。一度は白かったことのあるかべと天井が、いまではけむりとすすとちりでよごれきって、なんとも知れない色をしていた。かべの上にはすみで人間の首だの、花や鳥だのが落書きしてあった。
「ガロフォリさん、いるのかい」と親方がたずねた。「あんまり暗くってだれも見えない。ヴィタリスだよ」
かべにかけたうす暗いランプの明かりですかすと、部屋《へや》にはだれもいないらしかった。すると弱いのろのろした声が、親方のことばに答えた。
「ガロフォリさんは出かけましたよ。二時間ほどしなければ帰りませんよ」
こう言いながら十三ばかりの子どもが出て来た。わたしはその子のきみょうな様子におどろいた。いまでもそのとき見たとおりを目にうかべることができる。いわば胴体《どうたい》がなくって、足からすぐ首が生えているように見えた。その大きな頭は、まるでつり合いもなにもとれていなかった。そんなふうなからだつきでけっしてりっぱとは言えなかったが、その顔にはしかしきみょうに人をひきつけるものがあった。悲しみと優《やさ》しみの表情《ひょうじょう》、そしてそれから……たよりなげな表情であった。かれの大きな目は同情《どうじょう》をふくんで、相手《あいて》の目をひきつけずにはおかないのであった。
「確《たし》かに二時間すれば帰って来るのかね」と親方がたずねた。
「確かですよ。もう昼飯《ひるめし》の時間ですからね。ここで食べるのはガロフォリさんばかりですから」
「そうかい。もしそのまえに帰って来たら、ヴィタリスという人が来て、二時間たつとまた来ると言って帰ったと言ってください」
「かしこまりました」
わたしも親方について行こうとすると、かれはわたしを止めた。
「おまえはここにおいで」とかれは言った。「少し休んでいるがいい」
「…………」
「おお、わたしは帰って来るよ」とかれはわたしの心配そうな顔つきを見て安心させるようにまた言った。わたしは例《れい》の服従《ふくじゅう》の習慣《しゅうかん》から、それをいやとは言えなかった。
「きみはイタリア人かい」
親方の重い足音がもうはしご段《だん》の上に聞こえなくなったときに、イタリア語で子どもがたずねた。親方といっしょにいるあいだにわたしはイタリア語がぽつぽつわかっていたが、まだ自由には使えなかった。
「いいえ」と、わたしはフランス語で答えた。
「おやおや、つまらないなあ。きみがイタリアだといいんだがなあ」とかれは大きな目で見ながら、ほんとにつまらなそうに言った。
「きみはどこ」
「リュッカだよ。きみもそうだと、いろいろ聞きたいと思ったのだ」
「ぼくはフランス人です」
「そう、それはいいね」
「おや、きみはイタリア人よりも、フランス人のほうが好《す》きなの」
「おお、そうじゃない。ぼくがそれはいいねと言ったのは、きみのことを考えて言ったのだ。だってきみがイタリア人だったら、きっとガロフォリ親方に使われにここへやって来たのだろうから、そうすると気のどくだと思ってね」
「じゃあ、あの人悪い人なんですか」
子どもは答えなかった。けれどわたしにあたえた目つきはことばよりも多くを語った。かれはこの話を続《つづ》けるのを好《この》まないように炉《ろ》のほうへ行った。炉のたなの上に大きななべがあった。わたしは火に当たろうと思ってそばへ寄《よ》ると、このなべがなんだか変《か》わった形をしているのに気がついた。なべのふたにはまっすぐな管《くだ》がつき出して、蒸気《じょうき》がぬけるようになっていた。そのふたはちょうつがいになっていて、一方には錠《じょう》がかかっていた。
「なぜ錠ががかっているの」と、わたしはふしぎそうにたずねた。
「ぼくがスープを飲まないようにさ。ぼくはなべの番を言いつかっているけれど、親方はぼくを信用《しんよう》しないのだ」
わたしはほほえまずにはいられなかった。
するとかれは悲しそうに言った。
「きみは笑《わら》うね。ぼくが食いしんぼだと思うからだろう。でもきっときみがぼくの境遇《きょうぐう》だったら、ぼくと同じことをしたかもしれないよ。ぼくはぶたではないけれど、腹《はら》が減《へ》っている。だからなべの口からスープのにおいがたてば、ますます腹が減ってくるのだ」
「ガロフォリさんはきみにじゅうぶん食べるものをくれないの」
「ああ、それが罰《ばつ》なんだ…
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