平線までは、大都市の屋根や鐘楼《しょうろう》が続《つづ》いて散《ち》らばっていた。どれが家だろう。どれがえんとつだろう。中でいちばん高い、いちばん細いのが、五、六木、柱のように空につっ立って、そのてっぺんからまっ黒なけむりをふき出しては、風のなぶるままに、たなびいて、町の真上《まうえ》に黒いガスの雲をわかしていた。川の上には、ちょうど中ほどの河岸《かし》通りに沿《そ》って数知れない船が停泊《ていはく》して、林のようにならんだ帆柱《ほばしら》や、帆づなや、それにいろいろの色の旗《はた》を風にばたばた言わせながらおし合いへし合いしていた。がんがんひびく銅《どう》や鉄の音やつちの音、そういう物音の中に、河岸《かし》通りをからから走って行くたくさんの車の音が交じって聞こえた。
「これがボルドーだ」と親方がわたしに言った。
 わたしのような子どもにとっては――その年までせいぜいクルーズのびんぼう村か、道みち通って来たいくつかのちっぽけな町のほかに見たことのない子どもにとっては、これはおとぎ話の国であった。
 なにを考えるともなく、わたしの足はしぜんと止まった。わたしはじっと立ち止まったまま、前のほうをながめたり、後ろのほうをながめたり、ただもうぼんやりそこらを見回していた。
 しかし、ふとわたしの目は一点にとどまった。それは川の面をふさいでいるおびただしい船であった。
 つまりそれはなんだかわけのわからない、ごたごたした活動であったが、それが自分でもはっきりつかむことのできない、ひじょうに強い興味《きょうみ》をわたしの心にひき起こした。
 いくそうかの船は帆《ほ》をいっぱいに張《は》って、一方にかたむきながら、ゆうゆうと川を下って行くと、こちらからは反対に上って行った。島のように動かずに止まっているものもあれば、どうして動いているかわからないで、くるくる回っている船もあった。最後《さいご》にもう一つ、帆柱《ほばしら》もなければ、帆もなしに、ただえんとつの口から黒いけむりのうずを空に巻《ま》きながら、黄ばんだ水の上に白いあわのあぜを作りながら、ずんずん走っているものもあった。
「ちょうどいまが満潮《まんちょう》だ」と親方はこちらから問いかけもしないのに、わたしのおどろいた顔に答えて言った。
「長い航海《こうかい》から帰って来た船もある。ほら、ペンキがはげてさびついたようになっているだろう。あすこへは港をはなれて行く船がある。川のまん中にいる船が満潮にかじを向けるようなふうに、いかりの上でくるくる回っている。けむりの雲の中を走って行く船は引き船だ」
 わたしにとってはなんということばであろう。なんという目新しい事実であろう。
 わたしたちが、パスチードとボルドーを通じている橋の所へ来るまでに、親方はわたしが聞きたいと思った質問《しつもん》の百分の一に答えるだけのひまもなかった。
 これまでわたしたちはけっしてとちゅうの町で長逗留《ながとうりゅう》をすることはなかった。なぜというに、しじゅう見物をかえる必要《ひつよう》から、しぜん毎日|興行《こうぎょう》の場所をも変《か》えなければならなかった。それに『名高いヴィタリス親方の一座《いちざ》』の役者では、狂言《きょうげん》の芸題《げいだい》をいろいろにかえてゆく自由がきかなかった。『ジョリクール氏《し》の家来』『大将《たいしょう》の死』『正義《せいぎ》の勝利《しょうり》』『下剤《げざい》をかけた病人』、そのほか三、四|種《しゅ》の芝居《しばい》をやってしまえば、もうおしまいであった。それで一座《いちざ》の役者の芸《げい》は種切《たねぎ》れであった。そこでまた場所を変《か》えて、まだ見ない見物の前で、これらの狂言《きょうげん》を、相変《あいか》わらず、『下剤をかけた病人』か、『正義の勝利』をやらなければならなかった。
 しかし、ボルドーは大都会である。見物は容易《ようい》に入れかわったし、場所さえ変えると毎日三、四回の興行《こうぎょう》をすることができた。それでもカオールに行ったときのように、『いつでも同じことばかりだ』とどなられるようなことはなかった。
 ボルドーを打ち上げてから、わたしたちはポーへ行かなければならなかった。そのとちゅうでは大きなさばくをこえなければならなかった。さばくはボルドーの町の門からピレネーの連山《れんざん》まで続《つづ》いていて、『ランド』という名で呼《よ》ばれていた。
 もうわたしもおとぎ話にある若《わか》いはつかねずみのように、見るもの聞くものが驚嘆《きょうたん》や恐怖《きょうふ》の種《たね》になるというようなことはなかった。それでもわたしはこの旅行の初《はじ》めから、親方を笑《わら》わせるような失敗《しっぱい》を演《えん》じて、ポーに着くまで、そのためなぶられどおしになぶられるほかはなかった。
 わたしたちは七、八日のちボルドーを出発した。ガロンヌ川|沿岸《えんがん》の土地を回ったのち、ランゴンで川をはなれて、モン・ド・マルサンへ行く道をとった。その道はつま先下がりに下がっていった。もうぶどう畑もなければ、牧場《ぼくじょう》もない。果樹園《かじゅえん》もない、ただまつ[#「まつ」に傍点]と灌木《かんぼく》の林があるだけであった。やがて人家もだんだん少なくなり、だんだんみすぼらしくなった。とうとうわたしたちは大きな高原のまん中にいた。所どころ高低《こうてい》はあっても、日の届《とど》くかぎり野原であった。畑地《はたち》もなければ森もない、遠方から見るとただ一色のねずみ色の土地であった。道の両側《りょうがわ》がうす黒いこけや、しなびきった灌木《かんぼく》や、いじけたえにしだ[#「えにしだ」に傍点]でおおわれていた。
「わたしたちはランドの中に来たのだ」と親方が言った。「このさばくのまん中まで行くには二十里か二十五里(八十キロか百キロ)行かなければならない。しつかり足に元気をつけるのだぞ」
 元気をつけなければならないのは足だけではなかった。頭にも、胸《むね》にも、元気をつけなければならなかった。なぜといって、もう終わる時のないように広いさばくの道を歩いて行くとき、だれでもばんやりして、わけのわからない悲しみと、がっかりしたような心持ちに胸《むね》がふさがるのであった。
 そののちもわたしはたびたび海上の旅をしたが、いつも大洋のまん中で帆《ほ》かげ一つ見えないとき、わたしはやはりこの無人《むじん》の土地で感じたとおりの言いようもない悲しみを、また経験《けいけん》したことがあった。
 大洋の中にいると同様に、わたしたちの日は遠い秋霧《あきぎり》の中に消えている地平線まで届《とど》いていた。ひたすら広漠《こうばく》と単調《たんちょう》が広がっている灰色《はいいろ》の野のほかに、なにも目をさえぎるものがなかった。
 わたしたちは歩き続《つづ》けた。でも機械的《きかいてき》にときどきぐるりと見回すと、やはりいつまでも同じ場所に立ち止まったまま、少しも進んでいないように思われた。目に見える景色《けしき》はいつでも同じことであった。相変《あいか》わらずの灌木《かんぼく》、相変わらずのえにしだ[#「えにしだ」に傍点]、相変わらずのこけであった。風がふくとやわらかなわらびの葉がなよなよと動いて、まるで波の走るように高く低《ひく》く走った。
 ずいぶん長いあいだをおいて、たまさか、わたしたちはちょいとした森を通りぬけることがあったが、その森はふつうの森のように、とちゅうの興《きょう》をそえるようなものではなかった。いつもまつ[#「まつ」に傍点]の木の森で、そのえだはこずえまで風に打ち落とされていた。幹《みき》に長く、深い傷《きず》がえぐれていた。その赤い傷口からすきとおったまつやにのなみだが流れ出していた。風が傷口からふきこむと、いかにも悲しそうな音楽を奏《そう》して、この気のどくなまつ[#「まつ」に傍点]がみずから痛《いた》みをうったえる声のように聞かれた。
 わたしたちは朝から歩き続《つづ》けていた。親方は夜までにはどこかとまれる村に着くはずだと言っていた。けれど夜になっても、その村らしいものは見えなかったし、人家に近いことを知らせるけむりも上がらなかった。
 わたしはくたびれたし、ねむたかった。わたしたちは前途《ぜんと》はただ原っぱを見るだけであった。
 親方もやはりくたびれていた。かれは足を止めて道ばたに休もうとした。
 わたしはそれよりも、左手にあった小山に登って、村の火が見えるかどうか見たいと思った。
 わたしはカピを呼《よ》んだが、カピもやはりくたびれていたので、呼んでも聞こえないふりをしていた。これはいつでも言うことを聞きたくないときにカピのやることであった。
「おまえ、こわいのか」とヴィタリスは言った。
 この質問《しつもん》がすぐにわたしを奮発《ふんぱつ》さして、一人で行く気を起こさせた。
 夜はすっかり垂《た》れまくを下ろした。月もなかった。空の上には星の光がうすもやの中にちらちらしていた。歩いて行くと、そこらのさまざまな物がぼんやりした光の中できみょうな幽霊《ゆうれい》じみた形をしているように見えた。野生のえにしだ[#「えにしだ」に傍点]が、頭の上にぬっと高く延《の》びて、まるでわたしのほうへ向かって来るように見えた。上へ登れば登るほどいばらや草むらはいよいよ深くなって、わたしの頭をこして、上でもつれ合っていた。ときどきわたしはその中をくぐってぬけて行かなければならなかった。
 けれどわたしはぜひも頂上《ちょうじょう》まで登らなければならないと決心した。でもやっとのこと登ってみれば、どちらを見ても明かりは見えなかった。ただもうきみょうな物の形と、大きな樹木《じゅもく》が、いまにもわたしをつかもうとするようにうでを延《の》ばしているだけであった。
 わたしは耳を立てて、犬の声か、雌牛《めうし》のうなり声でも聞こえはしないかと思ったが、ただもうしんと静《しず》まり返っていた。
 どうかして聞き取ろうと思うから、耳をすませて、自分の立てる息の音さええんりょをして、わたしはしばらくじっと立っていた。
 ふとわたしはぞくぞく身ぶるいがしだした。このさびしい、人気《ひとけ》のない荒野原《あらのはら》の静《しず》けさが、わたしをおびやかしたのであった。なんにわたしはおびえたのであったか、たぶんあまり静《しず》かなことが……夜が……とにかく言いようのない恐怖《きょうふ》がわたしの心にのしかかるようにしたのであった。わたしの心臓《しんぞう》は、まるでそこになにか危険《きけん》がせまったようにどきついた。
 わたしはこわごわあたりを見回した。するとそのとき、遠方に大きな姿《すがた》をしたものが木の中で動いているのを見た。それといっしょにわたしは木のえだのがさがさいう音を聞いた。
 わたしは無理《むり》に、それは自分の気の迷《まよ》いだと思いこもうとした。きっとそれは木のえだか灌木《かんぼく》のかげかなんぞだったのだ。
 けれど、そのとき風は、木の葉を動かすほどの軽い風もふいてはいなかった。はげしい風でふかれるか、だれかがさわらないかぎり動くはずはなかったのである。
「だれかしら」
 いや、この自分のほうを目ざしてやって来る大きな影法師《かげぼうし》が人間であるはずがなかった――わたしのまだ知らないなにかのけものか、またはおそろしい大きな夜鳥か、大きなばけぐもが木の上をとびこえて来るのだ。なんにしても確《たし》かなことは、この化け物はおそろしく長い足をしていて、ばかばかしく早く飛んで来るということであった。
 それを見るとわたしはあわてて、あとをも見ずに、足に任《まか》せて小山をかけ下りて、ヴィタリスのいる所までにげようとした。
 けれどきみょうなことに、登るときだけに早くわたしの足が進まなかった。わたしはいばらや、雑草《ざっそう》のやぶの中に転《ころ》がって、二足ごとにひっかかれた。
 ちくちくするいばらの中からはい出して、わたしはふと後ろをふり向いてみた。怪物《か
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