ねずみをくれて、それを往来《おうらい》で見世物に出させて、毎晩《まいばん》三十スー持って帰って来なければならないと言いわたした。三十スーに一スーでも不足《ふそく》があれば、不足だけむちでぶたれるのだ。きみ、三十スーもうけるにはずいぶん骨《ほね》が折《お》れる。けれどぶたれるのはもっとつらい。とりわけガロフォリが自分で手を下ろすときはよけい痛《いた》いのだ。それでぼくは金を取るためいろんなことをしてみるが、よく不足なことがあった。たいていほかの子どもたちが夜帰って来て、決められた金を持って来たとき、ぼくは自分の分に足りないとガロフォリは気ちがいのようにおこった。もう一人|仲間《なかま》にやはりはつかねずみの見世物を出す子どもがある。このほうは四十スーと決められているのだが、毎晩《まいばん》きっとそれだけの金を持って帰る。そんなときぼくはその子がどんなふうにして金をもうけるか見たいと思って、いっしょについて行った……」
 かれはことばを切った。
「それで」とわたしはたずねた。
「おお、見物のおくさんたちは決まってこう言うのだ。きれいな子のほうへおやりよ。みっともない子どものほうでなく、と。
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