せた。それからとうとうしまいにはなみだをこぼしていた。かれに向かって、今夜|芝居《しばい》するなんという考えを捨《す》てなければならないことを納得《なっとく》させるには、たいへんな手数のかかることがわかっていた。それよりもかくれて出て行くほうがいいとわたしは思った。
親方が帰って来ると、かれはわたしにハープをしょったり、いろいろ興行《こうぎょう》に入りようなものを用意するように言いつけた。それがなんの意味だということを知っているジョリクールは、今度は親方に向かって請求《せいきゅう》を始めた。かれは自分の希望《きぼう》を表すために苦しい声をしばり出したり、顔をしかめたり、からだを曲げたりするよりいいことはなかった。かれのほおにはほんとうになみだが流れていたし、親方の手におしつけたのは心からのキッスであった。
「おまえも芝居《しばい》がしたいのか」と親方はたずねた。
「そうですとも」とジョリクールのからだ全体がさけんでいるように思われた。かれは自分がもう病人でないことを示《しめ》すために、とび上がろうとした。でもわたしたちは外へかれを連《つ》れ出せば、いよいよかれを殺《ころ》すほかはない
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