むかえて、まるでわたしが兄弟ででもあるようにあつかってくれた。
 たびたびわたしはアーサが寝台《ねだい》に結《ゆわ》えつけられて、青い顔をしてねむっているところを見ると、わたしはかれをうらやんだ。健康《けんこう》と元気に満《み》ちたわたしが、かえって病人の子どもをうらやんだ。
 それはわたしがうらやむのは、この子を引き包《つつ》んでいるぜいたくではなかった。美しい小舟《こぶね》ではなかった。それはかれの母親であった。ああ、どのくらいわたしは自分の母親を欲《ほ》しがっているだろう。
 かれの母はいつでもかれにキッスした。そして、かれはいつでもしたいときに、両うでにかの女をだくことができた。その優《やさ》しい夫人《ふじん》の手はたまたまわたしに向けられることもあっても、わたしからは思い切ってそれにさわり得《え》ないのではないか。わたしは自分にキッスしてくれる母親、わたしがキッスすることのできる母親を持たないことを悲しいと思った。
 あるいはいつかまたわたしもバルブレンのおっかあには会うことがあるかもしれない。それはどんなにかうれしいことであろう。でもわたしはもうかの女を母親と呼《よ》ぶこと
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